井上ひさし『十二人の手紙』を読んで

 井上ひさし『十二人の手紙』(中公文庫)を読む。すべて手紙で書かれた13篇の短篇集。とにかく巧くて舌を巻く。12の様々な状況が手紙だけでつづられていく。みごとなものだ。
「赤い手」は25通の手紙で構成されているが、うち24通までが公的な手紙となっている。出生届から始まり、死亡届、死亡診断書、転入届、欠席届、洗礼証明書など各種届が続き、一人の女性の人生が辿られる。そして25通目に初めて主人公の手紙が紹介され、彼女の悲劇の一生が明らかになる。
 驚くべきなのは、「玉の輿」は13通の手紙でつづられているが、末尾にはこう記されている。

 なお、2.から12.までの11通の手紙はすべて左記の書物群から引用された。7.の手紙さえも然りである。書名を列記して感謝の意を表します。

 この後12冊の本の題名が並べられているが、それは、平山城児『新版手紙の書き方』大泉書店武部良明『社交手紙の書き方』大泉書店、加藤一郎『新しい手紙文の書き方』梧桐書店、古田夏子『模範女性手紙文の書き方』梧桐書店等々となっている。
 なお「7.の手紙さえも」と書かれているその手紙とは、何と本妻から夫の愛人への離縁を要求する手紙なのだ。こんな手紙の範例まで書かれた本が存在するとは! 
 最後に置かれた短篇「エピローグ 人質」ではそれまでの12篇の登場人物が全員登場する。しかもそれが、みな後日談を構成している。
「解説」で演劇評論家扇田昭彦が書いている。

 劇作家として、演技する人間の種々相を活写しつづけている井上ひさし氏が人間の演技性の表現に最適のこの書簡体形式を小説に採り入れたのは、いかにも納得できることだ。しかも、それを井上氏は、実に井上氏らしいやり方でやってのけた。この『十二人の手紙』は、いわば仕かけの書簡小説である。十二編に配列されたこの短編集は、多彩なサンプルを網羅した手紙のパノラマであると同時に、いかにも井上氏らしい精妙な仕かけを随所にほどこされて、読む驚きという最上の贈りものを私たちに与えてくれる。
 かつて井上ひさし氏は、氏の戯曲の上演に際して、「芝居は趣向。これが戯曲を執筆するときのわたしの、たったひとつの心掛けである。(中略)芝居においては、一が趣向で二も趣向、思想などは百番目か百一番目ぐらいにこっそりと顔を出す程度でいい」と書いたことがあるが、この『十二人の手紙』でも、趣向家としての井上氏の面目は実に躍如としている。

 とにかく巧くて舌を巻く。しかしと留保を付けたい。巧いことは事実なのだが、いずれも名作とは言いがたい。きつい言い方をしてしまえば、ただ巧いだけなのだ。本書は1978年に発行されている。井上ひさし44歳のときだ。名作とされる芝居『しみじみ日本、乃木大将』が書かれるのが翌年、評判を呼んだ小説『吉里吉里人』が書かれるのが1981年だ。つまりこの『十二人の手紙』は、いわば習作といいうるだろう。このように多彩な試みを重ねていって、晩年の傑作群が生まれたのだ。
 でもおもしろく読んだ。とにかく巧くて舌を巻いたのだった。


十二人の手紙 (中公文庫)

十二人の手紙 (中公文庫)