筒井康隆『聖痕』(新潮社)を読む。私が尊敬する評論家三浦雅士が毎日新聞の書評でほとんど絶賛していた(8月11日)。では読まない訳にはいかない。その書評から、
……頭脳明晰にして眉目秀麗なる葉月貴夫の物語。そのあまりの美しさに幻惑された変質者に幼くして陰茎を切断されてしまった貴夫は、長じて料理に驚くべき才能を発揮し、東大農学部から食品加工会社へと進み、さらにレストランのオーナー・シェフへと転身してゆく。性欲ならぬ食欲、要するに味覚の探求が小説の軸になっているわけだが、とはいえ並はずれた美貌が異性のみならず同性をも次々に引き寄せるために男女の葛藤もまた十分にある。結局は波瀾万丈の物語になっていて、その面白さは太宰治の「ロマネスク」に匹敵する。(中略)
読者を楽しませながら新しい文学的試みを行うことにおいて、筒井康隆の右に出るものはいないと思わせる。
筒井康隆の私は良い読者ではなかった。だが、筒井の『宇宙衛生博覧会』(新潮文庫)という大傑作を読んだことから、秘かに尊敬する作家の一人ではある。
さて、本書については三浦雅士の書評がすべてを言い尽くしている。少なくとも私にはこれに追加するものはない。これは新聞小説として発表され、朝日新聞に2012年7月から2013年3月まで連載された。新聞小説を読み始めると毎日読まねばならないことから連載中まったく読んでいなかったが、挿絵はときどき眺めていた。挿絵画家は筒井伸輔とあって、もしかすると息子か親戚かと思っていたが、連載終了後の短い挨拶で息子であると紹介されていた。そして息子の挿絵に対して満足していると書いていた。
筒井伸輔は現在ミズマアートギャラリーに属する画家だが、私はもう20年近く見てきた。琥珀に封じ込められた虫を作品のテーマにしていた。最初に見たのが銀座中央通りに面してにあった東京電力のプラスマイナスギャラリーだった。数年前にはミズマアートギャラリーで展示していた。『聖痕』の新聞連載中の挿絵でも、偏光フィルターを使って撮った石の断面のような抽象的な図版を毎回載せていた。小説の内容とは全く無関係に、同じように見える図版が使われていた。おそらく1週間ごとに同一図版を使い回しても読者は気づかないだろうと思わせるほどだった。小説は読まなかったものの、ときどき眼にする挿絵については失敗だったと思っていた。それを成功したと評価するのは親の欲目だろうか。
さて、『聖痕』は小説としては楽しめなかった。自分は娯楽小説の読み方を知らないのかもしれないと反省してみるのだが、前述の『宇宙衛生博覧会』はとてもとても面白かったし、グレアム・グリーンの「娯楽小説=エンターテインメント」に分類されるものも大好きだ。するとやっぱり三浦雅士の評価に反して、『聖痕』はつまらない小説ではないだろうか。ほぼ40年以上に及ぶ葉月貴夫の半生を描きながら、わずか250ページほどに収めている。登場人物が少ないし、事件や出来事も多くない。ときに年表のように時間を簡略に語っている。評価できないのは、そういう問題ではないかもしれないが。
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