鴎座公演『しあわせ日和』と『森の直前の夜』を見る


 鴎座第II期上演活動4 『しあわせ日和』と『森の直前の夜』を中野のテルプシコールで見た。『しあわせ日和』はサミュエル・ベケットの台本、それを今回演出の佐藤信が大幅に改変して上演した。ベケットの台本は登場人物が2人、50歳くらいの女ウィニーと60歳くらいの男ウィリーだけで演じられる。第1幕のト書きには、

 焼け草の広がり、中央が盛り上がって低い円丘をなし、手前と左右にゆるく傾斜している。後ろ側はもっと急な傾斜で、平舞台の高さまで落ちこんでいる。最大限の単純さと左右対称。(中略)
 円丘のちょうどまん中に、腰の上までうずもれたウィニー。50歳ぐらい、まだ艶っぽい色香が残っている。(中略)
 彼女の右後ろに、円丘で見えないが、地面に横になって眠っているウィリー。

 佐藤は舞台に作られた台に穴を開け、ウィニーを演じた竹屋啓子を穴の中に腰まで入れている。ウィリーを演じる田村義明は台の向こうにいるようだ。しかし、ベケットの芝居では竹屋啓子が演じるウィニー役が最初から最後まで饒舌に喋りつづけることになっているのだが、この鴎座の芝居ではひと言もしゃべらない。1時間ほどの公演がただ動作だけ、パントマイムだけで演じられる。ベケットの原作には大量のト書きが書き込まれている。この公演ではセリフを排してト書きだけで芝居を構成している。無言のパントマイムだけ、しかも竹屋は第1幕では腰まで穴に入っていて、それが第2幕では首まで入っているのだ。原作では饒舌な台詞が絶え間なく話されるのに、この公演では上半身の、また首だけの演技に終始していた。
 もう一つの芝居『森の直前の夜』はベルナール=マリ・コルテス作で、こちらは男がひとり舞台中央に立ったまま2時間近く喋りつづけるというものだ。上半身は動かすものの、足はほとんど1カ所に立ったままだ。
 鴎座は今回なぜこんなに対照的な芝居を企画したのだろう。『しあわせ日和』は台詞がなく無言でト書きのみを演じる。パントマイムに近い世界だとも言えるが、それよりもっと禁欲的だ。
 いっぽう『森の直前の夜』は1カ所に立ったまま一人で延々としゃべり続ける。リーディングシアターに近い試みに似ている。これら2つの対照的な芝居をほとんど同時に(わずか3日の間を空けて)行っている。それには意味があるだろう。
 芝居の大きな2つの要素、台詞と演技を分解して、いわば純粋芝居みたいなものを実験してみたのだろうか。むかしカラヤンが、眼を閉じて手だけで指揮したのと、眼を見開いて手は全く動かさないで指揮をした実験を思い出した。そういう意味では、無言の『しあわせ日和』よりも喋りっぱなしの『森の直前の夜』の方が楽しめた。
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鴎座第II期上演活動4
『しあわせ日和』
2013年10月24日(木)−10月27日(日)
『森の直前の夜』
2013年10月31日(木)−11月3日(日)
中野テルプシコール