ギャラリー現の野中英和展が難しいけれど魅力的だ

 東京銀座のギャラリー現で野中英和展「存在の不可能性 無限への渇望としてのII」が開かれている(11月16日まで)。略歴によると、野中は1947年横浜生まれ、20歳の頃哲学者の信太正三ゼミに参加してニーチェを研究したとある。1970年横浜芸術研究所でデッサンを学ぶ。1972年にパリに遊学。1976年銀座のルナミ画廊で個展、以来2人称画廊、村松画廊、ギャラリー那由他、ギャラリー現などで個展を開いている。前回が2007年にギャラリー現で開いたので6年ぶりの個展となる。
 ギャラリーには抽象の作品が10点近く並んでいる。紙を黒く塗り、線を描き、白い紙を貼り、また線を塗り重ね、白い絵具を塗り、新聞紙の一部を貼り込み、文字を書いたりしている。何を描いているのか分からない。ただ、これがとても魅力的だ。なぜ魅力的だと断言できるのか。この作品に眼が惹きつけられるからだ。すばらしい作品だ。




 一方、入口を入って右側の壁に展示されていた作品は分からない。鉛筆で書きなぐったようにしか見えないこれらの作品を、野中は他の作品と同等に展示している。すると、作家にとって、これらは展示に価する作品ということになる。私にはそれが分からない。


 以前あるギャラリストが、作家は先を行っている、見る者はその後を追いかけてゆくだけだ、時間が経ってやっと作家が何を追求していたか分かる時が来るのだ、と言っていたことが思い出される。
 作家が小さな紙を渡してくれた。そこに10行足らずの詩(?)が書かれている。それを紹介する。

あなたはわたしに問い
わたしはあなたに問いかける
     *
その道が何であったのかを
誰も知らない
     *
あなたはそれを知ることができ
しかもそれをあなたは知らない
     *
あなたは魚を背負って落胆し
空に墜落してゆくことを望む
なぜなら その時 空がしっかり青いからだ

 やさしいけれど難解な文章だ。「あなた」って誰だろう。魚はキリスト教の寓意だろうか。何も分からない。個展のタイトル「存在の不可能性 無限への渇望としてのII」も理解の助けにはならない。分からないことだらけだが、作品はとても魅力的だ。
       ・
野中英和展「存在の不可能性 無限への渇望としてのII」
2013年11月11日(月)−11月16日(土)
11:30−19:00(土曜日17:00まで)
       ・
ギャラリー現
東京都中央区銀座1-10-19 銀座一ビル3F
電話03-3561-6869
http://g-gen.main.jp