遺作画集『堀内康司の遺したもの』が見事な出来栄えだ


 芝野敬通 責任編集『堀内康司の遺したもの』(求龍堂)が発行された。一昨年78歳で亡くなった画家堀内康司はあまり知られていないが、1932年生まれ、14歳で草間彌生とともに松本市で開かれた「若き世代12人」展に出品し、19歳で松本市で初個展、19歳と20歳のとき国展新人賞を2年連続受賞した。その後22歳で福島繁太郎のフォルム画廊で個展という華々しいキャリアを始めた。その年、池田満寿夫に会い、池田と堀内に靉嘔と真鍋博を加えた4人でグループ「実在者」を組織した。池田満寿夫を認めて世に出したのがこの堀内だった。
 しかし、なぜか30歳ころ絵筆を折ってその後新作を発表をすることはなかった。雑誌のカットを描いたり、競馬新聞の記者をしながら、画廊回りを続けて若い画家の作品を買い求め、多数のコレクションを残した。
 画集はていねいな編集がされていて、10代のころの鉛筆画から、クレヨン、パステル、グァッシュ、油彩等、たくさんの作品が収録されている。まず強い線が印象に残る。初期の信州風景や一時期暮らしていた東京王子周辺の風景、都会の建物や工場の煙突などを描いている。また女の顔、魚や花などの静物も強い輪郭線が目立つ。
 描いていた時期が戦後の50年代のせいもあって、当時流行したビュッフェの影響も大きい。だが、もし30歳で筆を折ることをしなかったら、きっと独自の画風を作ったに違いない。そんなことを断言できるのは、堀内より2歳年上のわが師山本弘も同じころビュッフェの強い影響のもとに描いていたからだ。山本は筆を折ることなく50歳まで描き続け、独自の画風を達成した。
 堀内と山本は2歳違いで同時期に長野県で育ったばかりでなく、1996年には東京の東邦画廊で行われた「三者三態展」で杢田たけをと3人が並んで展示されることになる。山本も杢田もすでに物故作家だったが、堀内は当時63歳で元気だった。私もこの時一度だけ会う機会を得た。東邦画廊主が次に堀内の個展を開くことを予告したが、実際に堀内が筆を執ることはなかった。
 画集は生前の池田満寿夫や実在者の準同人だった奈良原一高の文章が収録され、さらに平塚美術館の土方明司のすぐれた作品論、画家歌田眞介と画家木下晋の思い出、未亡人の言葉に年譜、最後に責任編集の芝野敬通の追想が収められている。
 ほとんど忘れられそうになっていた画家堀内康司の画業が、これ1冊ではっきりと歴史に記されたのだ。おそらく芝野氏の大変な骨折りによるものだろう。堀内の仕事を教えてくれた本書の出版を深く讃えたい。
 11月には、画集の出版を記念して、京橋のギャラリー川船と銀座のフォルム画廊で個展が開かれることになっている。楽しみにしたい。
 昨年本ブログに堀内康司のことを紹介した。下にリンクを張っている。


堀内康司という画家がいた(2012年4月8日)