ネットのニュースによれば、ラッセンに関する本をテーマにした講義イベントがあり、現代美術家・中ザワヒデキ、編集者の原田裕規、ギャラリーセラーのディレクター武田美和子との鼎談で、武田が「奈良さん好きな人とラッセン好きな人は同じだと思う、私は」と話し始め、「マーケティングのプロモーションとしてラッセンと奈良は同じ」と発言した。それがツイッターで流され、そのことを知った奈良美智が激しく怒っているという。
奈良は「武田さんの発言は、なんだか心外だなぁと思います。僕の作品が好きな人に統計をとってみてほしいですね〜。ほんとにそうだったら、発表を辞めます。本気で」と不快感を示したという。「つうか、俺、ラッセン大嫌い。ああいう平和頭の理想的自然志向は理解できない。自分はもっとリアルな現実という壁に向かって立っている」。さらに「この発言(武田さんの発言)は、自分の作品を好きでいてくれる人たちを侮辱していると、強く思ったので、先の連投(ツイッターへの連続投稿)になった」と締めたと言う。
今まで奈良とラッセンを比較したことなどなかったので、最初インテリアアートのラッセンと国際的ファインアーティストの奈良では全然違うじゃないかと思ったが、そういう形容を外して作品に直に向き合ったとき、あれ、意外に共通性があるじゃないかと気がついた。2人の作風の基本にイラストレーションがある。ここで言うイラストレーションとは、絵本の挿絵など物語を解説する図版や、広告に使われてそのメッセージを伝達するための図版に類する絵を指している。何かを伝える機能を持っている絵画とも言い換えられるだろうか。伝達の機能を持っているという言い方をすると、それは純粋に絵画の価値だけを追求するファインアートに比べて一段低いものと思われがちで、ラッセンの作品をそのように捉えている奈良が反応したのは、ある意味で納得できるものだろう。
だがそのような価値観から中立に考えてみると、奈良もラッセンも具象的な作品を描いているという意味では、絵画愛好家たちから見て好みとして共通の作家だというのは不思議ではないのではないか。
では、そんなにも奈良に嫌われているラッセンを専門家はどう見ているのだろう。ラッセンについては大野左紀子『アート・ヒステリー』(河出書房新社)がはっきりと書いている。
「異物」の「異物性」を排除したアート。日本人のアート観を語る上で避けては通れないのが、ヒロ・ヤマガタとクリスチャン・ラッセンです。「アレをいいと言うと恥ずかしいタイプの絵」という見方に同意して下さる人はそれなりにいると思いますが、巷ではかつて大変な人気でした。どちらも新聞、雑誌、テレビなどのメディアで大々的に広告が打たれ取り上げられていたので、アートに興味のない人でも「おや?」と目を止めて見るという意味で、珍しく大衆を取り込んだ「美術」だった。同時に、その「売られ方」も随分と批判を浴びていました。(中略)
ヤマガタもラッセンも、売られていたのはシルクスクリーンとはいえ作者の手による正規の版画ではなく、アクリルの原画を業者が千枚単位で大量にデジタル写真製版で複製したもの。2,000〜3,000円のポスターと同じ価値しかなく、従ってオークションに出しても買った時の何十分の1かの値段しか付かないものでした。
奈良が怒ったのも無理はないかもしれない。そんな恥ずかしいと言われるアート作品でも、大野によると当時高く評価していた評者たちがいた。評論家の室伏哲郎やアートライターという高瀬ゆう里は『月刊美術』(1994年5月号)に、「アート、デザイン、イラスト、インテリアなどのボーダーレス地帯に造形の新秩序を創造する文化英雄」(室伏)、「私達若い世代の心を"理屈なし"に寛がせ、陽気にさせる」(高瀬)などと、今になれば誰が読んでも恥ずかしい記事を書いていたという。
この大野左紀子『アート・ヒステリー』はとても刺激的な本で、現代アート、アート市場、日本の美術教育について、基本的なところから徹底的に書かれている。最近読んだアート関係の本では最も参考になった。
【追記】著者の大野左紀子氏からコメントをいただいた。
イラストレーションという共通点の指摘。そこには「癒し」という機能の共通点もあるような。
室伏哲郎が言ってたのはヒロヤマガタです。拙書取り上げて下さり感謝。
ありがとうございました。

アート・ヒステリー ---なんでもかんでもアートな国・ニッポン
- 作者: 大野左紀子
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