『現代美術 夢 むだ話』を読む

 実川暢宏・寺田侑『現代美術 夢 むだ話』(冬青社)を読む。実川は現代美術の草分け画廊である自由が丘画廊を長く経営してきた人。その実川の語りを寺田が原稿に起こしている。
 実川は1968年、世田谷区自由が丘に実川美術を立ちあげ、最初に親交のあった有島生馬に依頼して『有島生馬選集』を発行するが、ほとんど売れなくて在庫の山を抱える。現代美術では大先輩にあたる南画廊の志水さんに師事し、1969年に自由が丘画廊を開く。その前に、1964年実川は南画廊で初見の山口長男の80号の作品を100万円近い値段で現金で買っている。実川はまだ20代だったはずだ。お金持ちでもあったのだろう。
 最初の頃から駒井哲郎を取り上げる。最終的に駒井版画の90%、4,000〜5,000点は自由が丘画廊が扱ったという。ほかに自由が丘画廊で扱った作家の主力は山口長男、李禹煥など、後日超大物になる作家たちだった。先見の明があったのだろう。海外の作家では、ド・スタールやポリアコフ、ウォーホルやステラ、フォンタナ、デュシャンなどを早い時期に扱っている。オークションを始めたのも早かった。
 日本の現代美術の現場や市場について、とにかく詳しく知っている。
 イタリアに住んであちらで発表していた彫刻家の森下慶三とも付き合いがあった。森下はマリノ・マリーニに師事していた。森下が常に言っていたことがある。

そのマリノ・マリーニは(教えていたブレア美術学校の)卒業間近になると学生に、「君たちは将来、プロの作家になるか、それとも断念するかここで決めなさい。どうしてもプロになりたい人は、女性は金持ちの男を見つけなさい。男性は金持ちの女を見つけなさい。それでしかプロの道を全うすることはできない」、といっていたそうです。
 要するに才能はあとのことで、アーティストになるにはカネがかかるから、パトロンがないとできません、ということを教師がはっきり教えるんだそうです。日本では、内心はどうあれ、こういうことを堂々という教師はいません。

 実川氏には最近四谷の画廊で会って話したことがある。南画廊の志水さんが亡くなったあと、日本の現代美術の世界を最もよく知っている人だと思う。雑談のなかで、亡くなった抽象の画家N氏について、いまは高い評価をされているがやがて消えるとか、文章が上手かった有名な画廊主を、彼は絵が分からなかった等話してくれた。そのどちらの評価も我が意を得た思いで拝聴したのだった。


現代美術 夢 むだ話

現代美術 夢 むだ話