ミステリで世界文学全集? ○○で美術館?

 宮田昇『新編 戦後翻訳風雲録』(みすず書房)で先代の早川書房社長早川清の唖然とする言葉を紹介している。

 早川という人は、「どケチ」というより、財産と名がつくものの保全に関してきわめてこだわる点で、特異であったのである。自分がいったん手にしたものは、それがなんであろうと、絶対に手放さないで、大事に保全する。その質や種類のいかんを問わず、保全にこだわる性癖が、エンターテインメントの翻訳出版に限って、早川書房を一時、独走させたのだと思う。(中略)
 もっとも質と種類に関係なくと指摘したように、その中身には立ち入らなかった。文学作品はといえばスタインベックの『エデンの東』か、強いていえばグリーンの『内なる人』しか早川書房で出版していなかった時代、これだけ翻訳権を取っていて、なぜ世界文学全集を出せないのだといわれてびっくりしたことがある。

 しばしば出版社の創業者が、出版に関して無知であることは驚くべきことだが事実である。それなのになぜ経営が可能かといえば、たいていスタッフが優秀だからなのだ。
 さて、ミステリで世界文学全集を作った例がこちらにある。アーロン・エルキンズ『画商の罠』(ハヤカワ・ミステリアス・プレス)より引用する。
 初めの方に二流の美術館について触れられているくだりがある。

 ここで断っておかなければならないが、今わたしたちが話題にしているのは、有名な画家たちの作品ではあるが歴史に残る名画ではない。画家だってほかのみんなと同じだ。調子の悪い日もある。ふつうは画家自身が不出来な作品を破棄してしまうか、その上に別の絵を描くものだが、そういう不出来な作品が後世に残ることもけっして少なくない。そして、ヨーロッパの小さな美術館のなかには、それにアメリカの美術館のなかにも、これに乗じて比較的安い価格でこういう作品を買い集め、巨匠の名前はそろえてあるが名作はひとつもないというコレクションを作っているところがある。わたしとしては、こういうやり方で美術館を発展させるのは好まない。これは美術館に来る平均的な美術愛好者は愚かで、絵の作者の名がピカソとかマチスとなってさえいれば、その絵の出来などわかりもしなければ、気にもしないという信念に基づいているからだ。それどころかもっと悪いことに、こういうやり方は、ほかでもないその手の鑑賞者をますます作りだしてしまうのだ。(「まあっ、見て、本物のピカソ! きれいじゃないこと?」)

 その舞台となるバリョット美術館について、もう少し詳しく語られる。

 バリョット美術館は、前にもほのめかしたように、美術館の名折れになる類の美術館であり、なぜ存在しているかといえば、主として、もともとの寄贈者が市に建物を−−そして、コレクションを−−遺贈し、それを存続させるためのささやかな基金を残したからである。この美術館には、たぶん、いい作品が3点はあるが(いや、4点だ、例の "すべては冗談で悪意はさらさらなかった" 盗みのあと、ヴァシィが寄付したゴヤの木炭画を入れれば)、しかし、地味な、暗い絵画が、ときには文字どおり床から天井までぎっしり並ぶ、あの小さな、照明の悪い展示室でこれを探すのは、思っただけでも気がめいる。
 絵画の多くはかたわらに "アーブラハム・ヴァン・デン・テンペル作とされる" とか "ジェロームボッシュ風" という表示札がついていた。この種の札としては控えめに。わたしたちの美術館にもこういった作品は数点ある−−どこの美術館にもある−−だが、ここのはその大部分が、明らかに、せいぜい素人の絵か、よくても画学生の練習作の域を出ず、なかにはまったくひどい代物もある。もっと大胆に作者名を記した絵画、そして、正真正銘の18世紀以前の名画(オールドマスターズ)の作品もあったが、これもほとんど負けず劣らずひどかった。むろん、どんな画家にも調子の悪いときというのはあり、バリョット美術館はその生きた証拠を示していた。ある意味では、その点にかけては、この美術館に匹敵するところはない。ここには出来のよくないムリーリョ、出来のよくないステーン、出来のよくないティントレット、それに、出来のよくないフラゴナールがあるが、こんなに揃った美術館はそう多くはなかろう。おまけに出来のよくないヴェラスケスまであるのだから、これはもうユニークとさえいえるかもしれない。

 この『画商の罠』について、原田マハ『楽園のカンヴァス』(新潮社)と関連させて以前紹介したことがある(2012年4月14日)。

 原田マハ『楽園のカンヴァス』(新潮社)を読む。ふだんあまり小説を読まないが、美術業界が舞台のようなので手に取った。謎のコレクターが所有するアンリ・ルソーの絵の真贋を巡って、美術館の学芸員と女性研究者が対決する。説得力のある鑑定をした者にその絵の所有権を譲るという。
 これは最近読んだアーロン・エルキンズ『画商の罠』(ハヤカワ文庫)とほとんど同じ構図だ。エルキンズではレンブラントとレジェの絵を巡って学芸員美術評論家がその真贋を鑑定するとなっていた。やはり正しい鑑定をした者にその絵が提供される。
 『楽園のカンヴァス』は楽しめた。十分におもしろかった。さすがベストセラー小説だ。ただ少しだけ不満もある。主人公の早川織江の性格の造型に疑問が残る。現在の美術館の監視員を務める控えめな彼女と、若い頃のバリバリの研究者だった頃の攻撃的な性格の彼女との整合性がとれていない。『画商の罠』ではあんなにも慎重だった真贋の同定の手続きが、本書ではただ物語を読むことで結論つけるという不思議な鑑定方法が採られている。健康を害していてやっと生きているというルソーに大作を2点も描かせると言うのも説得力がない。ラストに大きな展開があるのに、それへの伏線が不足している。だから最後が唐突に感じられてしまう。全体に構成のツメが甘いと思う。
 本書の枠組みと『画商の罠』との酷似は、これだけ似ていれば意図したものなのだろう。原田のエルキンズへの挑戦と思われる。しかし、勝負はエルキンズのものだろう。

 ベストセラーといっても、世界のそれと日本のそれでは格が違うのはやむを得ないことなのだろうが。いや、今回のテーマは『楽園のカンヴァス』批判ではなく、「ミステリで世界文学全集? ○○で美術館?」だった。


新編 戦後翻訳風雲録 (大人の本棚)

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画商の罠 (ミステリアス・プレス文庫)

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楽園のカンヴァス

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