「悩みのるつぼ」の驚くような相談

 朝日新聞に連載されているコラム「悩みのるつぼ」、いつも驚くような相談と回答が掲載されているが、8月最後の土曜日の相談にはびっくりした。回答者は上野千鶴子で、その回答は一応予測の範囲内だったが。その驚いた相談、

 私79歳、主人88歳。
 主人は4年前の脳梗塞で体が動かず、現在施設に入って車イス生活です。
 耳は遠く、目もあまり見えていない状態です。
 私はとてもかわいそうに思い、できるだけ主人に会いに行くよう努めておりますが、私も年には勝てません。それでも、時々外泊させ、家に帰すようにしております。
 とてもお恥ずかしいことですが、主人は性欲だけはあるのか「お願いだから見せてくれ」とか「触らせてくれ」とかいうのです。そういう主人は、私は嫌いです。
 「だめ」の一言で反抗します。手を伸ばすので手を打ってやります。これって虐待ですよね。そう反省するけど腹が立ちます。
 本人は「女房だからいいだろう。ずっとやってない」と申します。私はできる介護はいたします。やっているつもりです。でも、性のことはもう卒業だと思っています。
 妻である以上、これではいけないのでしょうか。

 回答者の上野千鶴子は、ユーモアを交えて、もうそんな相手をしなくていいと答えている。まったく妥当な回答だと思う。88歳と79歳なら、卒業して当然だろう。
 しかしながら、驚くのは88歳にもなってまだそんな欲望があることだ。人間というのは、性に関しては全く信じられないような個人差があるのだなあとあらためて感心する。そういえば、身近な人でも、64歳の友人I君も自己申告では豪傑ということだが、70歳を超える彼のお兄さんは、今でも毎週ソープへ通っているとのことだ。I君と一緒に行ったときなど、時間内に2回もしたという。
 相談者の88歳の夫に比べれば、I君の70歳超のお兄さんはまだ青いのかもしれないが。そう書いて、椎名其二が野見山暁治に語る森有正のことを思い出した。野見山暁治『四百字のデッサン』(河出文庫)から。

 森(有正)さんは女好きなんですかね、と後日、私(野見山暁治)が口走ったとき、椎名(其二)さんは私の方にきつい顔をむけた。自分の性欲をもってして他人をおしはかってはいけないのです。性欲ほど人それぞれに違うものはないようだ。キミや私は女と喋っているだけで消化できる体質のようだが、森くんはそうではなく、体が言うことをきかないのではないかな。キミはそれをフシダラだというふうに思ってはいけない。

 森有正は哲学者。『遙かなるノートルダム』や『バビロンのほとりにて』などの著書がある。森はこの後も16歳下のブック・デザイナー栃折久美子と付き合うことになる。栃折は彼女が74歳の時『森有正先生のこと』(筑摩書房)を書いてそのことを公にしている。
 そのエピソードはまた、山本容子と中原祐介のことを思い出させる。山本容子『マイ・ストーリー』(新潮文庫)に書かれているが、版画家山本容子は31歳のとき、有名な美術評論家中原祐介52歳と同棲を始める。中原には妻がいていろいろややこしいことになる。
 中原祐介といえば、東野芳明針生一郎とともに戦後、美術評論家の御三家と呼ばれた一人。とても偉い人だった。
 連想ついでに。針生は異端・無頼の画家を多く取り上げてきた。その画家の一人の阿部合成の追悼会の席上、いつも針生先生が話されているので、たまには奥さんがと言われて針生夫人が挨拶した。皆様のお話を伺っていますと奥様の他に何人もの女性とお付き合いがあったようです。それに比べますと何だか針生が可哀相で。これは針生さんから直接伺った話だ。
 ついでに、いささか上品とは言いかねる話をもう一つ。
 狩野亨吉は思想史家、夏目漱石の親しい友人だった。安藤昌益を発見したのは彼の大きな業績だ。その狩野亨吉を紹介する板坂元のエッセイ「書斎日記」から(朝日新聞1992年12月6日)。

 旧制一高の校長、京都帝国大学初代文科大学長、安藤昌益の発見者、そして蒐書家としても超一流の人といった常人の物差しでは測り切れない狩野亨吉の伝記は、青江舜二郎の『狩野亨吉の生涯』に詳しい。
 先日、この本の中公文庫版を読んでいたら、昭和49年明治書院刊の単行本から「亨吉と性」の一編を除いて文庫本にしたことを知った。友人に頼んで割愛された約30ページ分をコピーしてもらって読んだら、亨吉の性生活が相当詳しく描かれている。生涯を独身で過ごした亨吉は禁欲生活を通したわけではなく、春画、春本の蒐集でも一流の人であり、自らの性器の怒張時と弛緩時の比較スケッチをおびただしく多く行ったりしている。マスターベーションの記録や、女性器の精細なスケッチも残していた。
 青江は、かなり控え目に書いているが、それでも常人の域を超えた性衝動の持ち主だったことが分かる。明治の人のセックスとしては斎藤茂吉南方熊楠などと共に、西欧から輸入された抑圧的なセックス観にとらわれない大らかさが狩野亨吉にもあるようだ。この点については、小林勇の本もある。
 江戸時代の「女大学」や明治になっての教育勅語などには納まりきれない江戸時代のセックス観を知る上で、たとえば中野好夫の『蘆花徳富健次郎』のような伝記が、もう一度書かれて欲しい。かつて、発刊後日を置かず回収され、一般読者の目に触れる機会のない鈴木正の『狩野亨吉の研究』(いま古書店で二十数万円するという)ともども、狩野亨吉の生涯は掘り起こす価値のあるものと思う。

 英雄という者は平安の時代にもいるのだと、凡人はただただ感嘆してうなだれてしまう。


四百字のデッサン (河出文庫)

四百字のデッサン (河出文庫)

森有正先生のこと

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マイ・ストーリー

マイ・ストーリー

狩野亨吉の生涯 (中公文庫)

狩野亨吉の生涯 (中公文庫)