ギャラリーQの一色映理子展が興味深い


 東京銀座のギャラリーQで一色映理子展が開かれている(8月3日まで)。これは「画廊からの発言−新世代への視点2013」という東京現代美術画廊会議の企画の一環で、ギャラリーQが一色を取り上げたことによる。
 一色は1981年、愛媛県生まれ。2004年に武蔵野美術大学造形学部油絵学科を卒業し、2006年に同大学大学院美術専攻油絵コースを修了している。2005年に銀座のフタバ画廊で初個展、以来フタバ画廊で4回、2010年からはギャラリーQで今回を含め3回個展を開いている。2012年には「シェル賞2012」木ノ下智恵子審査員賞を受賞している。
 一色はこれまでしばしば老齢の祖父母の日常を描いてきた。室内に寄り添っている姿、ベッドに横たわっているところ等々。祖父母をきっちり描くのではなく、祖父母のいる空間みたいなものを描いているように見えた。

 ところが今回は新生児を描いている。それも頭部だけを162x194cmという大きな画面一杯に描いているのだ。友人の赤ん坊らしい。一見してとても面白いと思った。でも、この作品の何が面白いか言葉にできないのだ。私は赤ん坊に対して、ぼのぼのに対するヒグマのお母さんのように「きゃあ、ラッコよ、ラッコよ」と駆け寄る趣味は持ち合わせてない。面白いと思ったことの理由が赤ん坊を描いたことにあるのではない。多分描かれたものが老婆であっても変わらないだろう。だが、一色にとっては赤ん坊は別の意味を持っているのかもしれない。

 一色と話してみた。祖父母を描いたときは祖父母と一緒の空間にいた、その空間を描こうと思った。今回の赤ん坊は、赤ん坊が見ている空間を赤ん坊の側から描こうとしたような気がする。いや、これは一色の言ったことを正確には伝えていない。そんな風な言い回しだった。
 一色が赤ん坊を、その確固たる存在を描こうとしたのではないことは分かる。赤ん坊というもの、その存在、その実在、に興味があるのではないだろう。赤ん坊がいる空間を描こうとしているとも違う。ただ、これが小品だったらまた意味が変わるだろう。明確な個性も意識もまだない、しかしものではない、新生児の頭部をこんなに大きく描いたことに意味があるのかもしれない。造形的な面白さを狙ってもいない。
 見て、考えてもよく分からない。ただこの作品が面白いことは実感できる。なぜ、何が面白いのだろう。また足を運んで見てみよう。
 ちなみに冒頭に掲げたDM葉書の作品は、過去の祖父母を描いたものと同一のものだと思う。
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「画廊からの発言−新世代への視点2013」一色映理子展
2013年7月22日(月)〜8月3日(土)
11:30〜19:00(最終日〜17:00)日曜休み
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ギャラリーQ
東京都中央区銀座1-4-12楠本第17ビル3階
電話03-3535-2524
http://www.galleryq.info/