瀬戸川猛資『夜明けの睡魔』を読み返す

 瀬戸川猛資『夜明けの睡魔』(創元ライブラリ)を読み返す。前回読んだのが2000年だったから13年ぶりの再読になる。この文庫版が出たのが1999年5月で、瀬戸川はその2カ月前に亡くなってしまった。
 本書は1980年ころに『ミステリマガジン』に連載された海外ミステリを紹介したエッセイ集〜書評集。副題が「海外ミステリの新しい波」という。30年以上前のミステリ紹介だが、古びた感じがしない。
 ハードボイルドの作家とされているロス・マクドナルドについて、こう書く。

 彼(ロス・マクドナルド)の小説もまた、様々な評価を受けている。ハードボイルドではなく一種の心理小説であるとか、現代アメリカの悲劇を描く文学だとか、父親喪失を主題とする精神分析小説だとか。たぶん、そうなのだろう。そのへんは、わたしにもよくわからない。
 わたしは彼を、謎解きミステリ作家以外の何ものでもない、と思うのである。ロス・マクほど謎解きに執着する作家は現代のアメリカでは珍しい、とすら考えている。
 主人公リュウ・アーチャーは、粋なセリフや人生訓をぶったりはしない。とくに個性的な魅力もない。ひたすらに謎を追い、それを解くだけの男にすぎない。もっとも謎自体の魅力は大したことはなく、ほとんどが失踪事件、それをアーチャーが調査するうちに死体が転がる、というパターンである。その解かれ方がすばらしいのだ。常にトリッキイであり、あっという意外性がある。1959年の『ギャルトン事件』以降の諸作は、とくにそういえる。
 最高傑作は『さむけ』(1963)。この作品が高く評価されていないのは、おかしい。ごく客観的にみても世界ベストテン級の名作だと思う。

 スタンリイ・エリンを論じて、

 だいたい、ミステリが "「現代の狂気」を描く"などと本気でいいだすようになったら、おしまいではあるまいか。殺人というありきたりの狂気じみた行為を、論理で料理し、謎やサスペンスで味つけたりして、狂気を超越した理性的な物語に変えてしまうところに、その魅力があるのではないだろうか。ミステリとしての質の悪さをカバーするために残虐描写を売り物にし、したり顔で「現代の狂気!」と居なおるような作品には閉口である。
 スタンリイ・エリンの諸作は、この手の小説とはもっとも縁遠いものである。この作家は、「現代の狂気」などというあいまいでフヤけたものは描いたことがないし、これから先も描くまい。むしろ、「現代の正気」を描く作家といった方がいいぐらいである。(中略)
 そういうエリンの最高傑作はなにか?
『九時から五時までの男』に収録されている短篇『伜の質問』。これだ。これしかない。これ以上の傑作がスタンリイ・エリンにあるとする人は、たぶん、エリンという作家の本質がわかっとらんのだ(と声を荒らげ、ドンと机をたたく)。
 2番目の傑作として、わたしは、同じ短篇集に入っている『ブレッシントン計画』をあげる。この2作の前では、華麗な技巧の名品『決断の時』でさえ色あせてみえる。『特別料理』などというのはアホみたいなものである。

 瀬戸川は、洋画のカタカナ題名に対しても腹立たしく思っている。これは私も同意見だ。

アマデウス」とか「ロッキー」といった固有名詞の場合は仕方がない。不愉快なのは
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ
 のようなタイトルである。原題をそのままカタカナで表記するだけ、訳すという作業をまったくしない。現在の洋画タイトルは、大半がこの手だといっていいだろう。「タクシー・ドライバー」「プライベート・ベンジャミン」「レイジング・ブル」「ワン・フローム・ザ・ハート」「「ステイン・アライブ」「キング・オブ・コメディ」「ストリート・オブ・ファイヤー」「ストローカーエース」「ロマンシング・ストーン」「ヘブンリー・ボディーズ」……きりがない。

 この章の最後にも厳しい言葉がくる。瀬戸川が長生きして村上春樹の訳した題名を知ったら何と言っただろう。

……昔、配給会社は『暗闇へのワルツ』の映画化に「暗くなるまでこの恋を」(わはは)という邦題をつけてメロドラマにしてしまった。ミステリ映画というのは完全にナメられており、たとえ名作であっても、小説の訳題どおりに公開されるとは限らない。『長いお別れ』は「ロング・グッドバイ」であり、『クレムリンの密書』は「クレムリン・レター」であり、『無実はさいなむ』は「ドーバー海峡殺人事件」である。(後略)

 東京創元社が昭和33年(1958年)から刊行しはじめた翻訳ミステリ叢書〈クライム・クラブ〉について、「既に完結した翻訳ミステリの叢書や全集の中で一番好きなものは? と問われたら、わたしは躊躇なくこの〈クライム・クラブ〉をあげる。それほど好きである」と言っている。その中でもっとも好きなのは、

 第26巻『歯と爪』(1955)ビル・S・バリンジャー
 傑作中の傑作。これほど華麗な技巧を駆使した、よく出来た話はちょっとないのではないか。"Who done it?"の連呼で終わるラストは、永く余韻を残す。

 本書は索引が36ページもついている。読み応えのある海外ミステリ論だ。瀬戸川猛資は1999年3月16日に亡くなった。51歳だった。