伊東乾『なぜ猫は鏡を見ないのか?』がおもしろい

 伊東乾『なぜ猫は鏡を見ないのか?』(NHKブックス)がおもしろい。変なタイトルだが、副題は「音楽と心の進化誌」。伊東は作曲家、指揮者で東京大学作曲指揮研究室准教授でもある。猫や犬は鏡を見てそれが自分だと認識することができない、それがタイトルの由来だ。そんなことから、聴覚について、クラゲや魚など下等動物から人間までの進化をたどったり、それを敷衍して作曲によい耳が必要だということまで多様に展開される。ジョン・ケージルイジ・ノーノバーンスタインブーレーズ等々が語られ、見田宗介から山口昌男等、一流学者たちとの交流、共同研究が紹介される。伊東の作曲した現代音楽の詳細から多様な学問領域へ話題が飛び、多彩な才能が示されてほとんど圧倒される。それらがきちんとした研究に支えられているから、とても説得力がある。
 バーンスタインのリハーサルに立ち会う。

 (ユース・オーケストラの)リハーサルは定時にスタートしたが最初マエストロは不在だった。アシスタントの大植英次さんが音出しを始める。(中略)……と2〜3分も経った頃、チェロの後ろあたりからマエストロが入ってくるのが見えた。弾いている学生の中にのしのし入ってゆく。立ってるだけですごいオーラだ。大植英次さんにそのまま続けるよう合図して、マエストロは弾き続ける学生一人ひとりに話しかけている……やがて手を上げて合奏を止め、指揮台に就いた。
 「もう一度、最初から」
 序奏の最初から始めるが数秒で止めてしまった。
 「……一番上等な、ビロードの、ペルシャ絨毯みたいな滑らかな音で……」
 何とも言えない言葉のマジックだった。口数は決して多くない。ほんの少し、でも暗示の強いヒントを出してから、シューマンの第2交響曲、第1楽章冒頭を再び演奏し始める……まったく違う響きが立ち上がった。劇的と言って大げさでなかった。

 伊東は西欧音楽の原点たるポリフォニーが、イスラムのモスクで礼拝の時を告げる声が一斉に響き渡るのを模倣して始まったのではないかと大胆な推測までする。
 伊東は才能に溢れている。すると才に溺れるようなこともするのではないか。クボタ鉄工創業100年で「シルクロード国際作曲コンクール」が開かれた。伊東はこんな曲を応募する。

 「シルクロード」をネタに、自分の持つ書法の限りを尽くして、たちの悪い悪戯……ではないが、確信犯のメタ・ミュージックを作ってやろう、と考えた。(中略)
 実はこんな風に作曲した。武満徹に「秋庭歌」という魅力的な雅楽小品がある。その中にマカロニ・ウエスタンを彷彿とさせる妙にバタくさいフレーズがあり、昔から好きだった。これを使って音楽の冗談を書いたのだ。中華風変奏なら、一見しおらしく「長江」などと銘打って、胡弓で伴奏するラヴェルのピアノ協奏曲のようなスタイルで始める。ところが途中から胡弓の動きが現代の作曲家クセナキスを想起させる響きの流動(弦楽器のグリッサンド群)に変化して、前衛の濁流に中華音楽が飲み込まれる。濁流の中に平明な文化大革命期の紅衛兵の合唱や京劇の伴奏音楽などが浮かんでは消え、消えては浮かび……ふと何事もなかったかのように中華風ラヴェルに戻っていたりする。
 音楽の背景がわかる人には「シルクロード」が表向きの題材で、実際は別の話と気づくかもしれない。現実にはわざわざ紛争地域の民族音楽を選んで露骨に対立しあう要素をブレンドした。ヴェトナムの民族音楽をジャズで処理したと言えばわかりやすいだろう。「長江」は天安門事件、中東はイラン・イラク戦争。東欧は旧ユーゴ、最後は「羅馬」を称しながらイタリアではなく、壁が崩壊したばかりのベルリンを念頭で、遠い転調を繰り返すドイツ・バロックのスタイルに、冒頭から出てきた素材を打ちこんでみた。

 多少とも才をひけらかしている気味があるのではないか。しかし、おもしろかったことは事実だ。ただNHKブックスとしては誤植の多いのが気になった。発行を急いで十分な校正作業を行わなかったのだろうか。

なぜ猫は鏡を見ないか? 音楽と心の進化史 (NHKブックス)

なぜ猫は鏡を見ないか? 音楽と心の進化史 (NHKブックス)