宮田昇『新編 戦後翻訳風雲録』を読む

 宮田昇『新編 戦後翻訳風雲録』(みすず書房)を読む。これが滅法おもしろかった。著者は早川書房に勤め、のち著作権代理店のタトル・モリ エージェンシーに移り、その後海外著作権エージェントの代表者になる。
 宮田が付き合った翻訳者で、まず田村隆一が語られる。田村は戦後詩人の偉大な3人の一人だ(他は鮎川信夫吉本隆明)。その田村を宮田は激しく糾弾する。田村隆一は金に困り、ある計画を立てる。

 田村はまず、再婚を宣言し、ずいぶん先の結婚の日を定め、つぎに式場を予約しながら、やたらに吹聴して、花嫁のいない披露宴招待状もどきを配り、著者、翻訳者、友人、出版社から祝い金を集めまくって、飲んだりして散じた。(中略)
 結婚式と予告してあった日が、1、2か月後に迫ったとき、さすがの田村も慌てた。思いあまって相談したのが福島(正美)であったという。ほっといて、人格的にも財産的にも破産者であることを知らしても、おそらく世間は、彼が詩人であることでゆるしたはずだ。(中略)
彼(福島正美)はいとこを紹介し、見合いをした彼女も承諾した。(中略)
 だが追いつめられた田村にとっては、どの女性でもよかったという事実は、さいごまでこの結婚につきまとうはずであった。

 優れた詩人の姿と、道徳的・道義的にだらしがない男の姿とがうまく結びつかない。
 翻訳家新庄哲夫をとりあげた章で、老子に関する著書で評判の高い加島祥造と新庄の共通点が明かされる。

 それよりもふたり(加島と新庄)に共通するのは、大の女好きであったことである。
 新庄は、加島のそれを「病」といって嘆いた。だが、そういう彼にもいろいろ噂があった。

 「タオ」の加島祥造が大の女好きだったのか。『求めない』『伊那谷老子』のあの加島が!
 早川書房の先代の社長早川清については詳しく語られる。ケチだったらしい。

 早川書房に入り、あるシリーズを企画した私は、その第1冊が出たとき、当然、その本をもらえると思った。配本されたのは知らされたが、いくら待ってももらえないので、営業にいうと、早川の許可を取れという返事。早川は目を剥いた。本を作った人間が、そのたびにもらえるのだったら、造船所はどうするのだ。作ったからといって、その鉄片を剥がしてもらえるのか。

 当時の早川書房の社員に、年末ボーナスといわず「御餅代」と言って支給されるのは月給の半額くらいだった。それが早川が亡くなったとき、遺産相続の金額は100億円以上だった。
 ジョン・ル・カレの翻訳者である宇野利泰も大久保康雄も翻訳工房の主宰者だった。下請けの翻訳者を大勢使っていたが使い捨てではなく、その能力を見分けて育てていた。
 常盤新平についても好意的に語られている。すると、小林信彦が裏切られたと『四重奏』に書いていた宇野や常盤のことはどうなるのだろう。宮田昇は誠実な人に思われる。宮田と小林の見解が相違したら、私は宮田を信じよう。
 おもしろい本だった。実は10年前にもこの本を読んだのだった。だが、それは旧版の「本の雑誌社」版だった。あとがきによると、旧版との違いは5人の翻訳者を加え、早川清の項を半分に減らしたとある。減らされた早川の部分をもう一度読んでみたくなった。


小林信彦『四重奏 カルテット』を読む(2012年10月30日)


新編 戦後翻訳風雲録 (大人の本棚)

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