澁澤龍彦『私の戦後追想』を読んで

 澁澤龍彦『私の戦後追想』(河出文庫)を読む。澁澤にはとくに興味がなかったが、題名の「戦後追想」に惹かれたのだった。本書の成り立ちについて巻末に編集部による説明があった。

本書は、著者自身の回想エッセイを、編集部が『澁澤龍彦全集』(小社刊)よりおおよそ編年体で並べ替えて編集したオリジナル文庫である。

 道理で似たような内容のエッセイが並んでいる。しかし、そのことではなく、著者のあまりの文章のひどさに読み始めてすぐ後悔した。「読み始めた本は最後まで読む」という信念がなかったら、とうに投げ出していた。つまらぬエッセイについて澁澤も書いている。

 随筆などと称して、くそおもしろくもない自分の私生活をだらだらと公開するような手合いに、わたしは、いつも居たたまれない羞恥を感じる。それはちょうど、友達の家に遊びに行って、子供の自慢話を聞かされたり、家族のアルバムを見せられたりする時におぼえる不快の感情と、軌を一にしている。随筆と称する日本特有の奇怪なジャンルは、わたしの最も嫌悪するところの形式である。(もっとも、中世の隠者文学としての随筆は、現代の文化人諸氏が原稿料稼ぎのために書きなぐる、水ぶくれのような、厚顔無恥なストリップまがいの随筆とは、おのずから趣きを異にしていた。)(中略)
……文章でなく、材料で人をおもしろがらせようとは、あさましい根性である。誰もお前さんには興味を持ってやしないよ、いい加減にしてくれ、と言いたくなるではないか。このわたしの随筆にしたって同じことである。

 澁澤龍彦については、サド文学の紹介者、サド裁判で10年以上戦い有罪になったフランス文学者との認識があったけれど、そもそもSMに興味がない私には縁のない作家だった。今回「戦後追想」の言葉に吊られて読んでみて期待外れだったが、澁澤龍彦というと矢川澄子の夫で離婚後矢川が自殺したというエピソードの方が印象深かった。
 以前書いた「澁澤龍彦と矢川澄子」を再録する。

 矢川澄子『失われた庭』(青土社)は矢川と澁澤龍彦の結婚生活を描いたものだ。それを直接に描くことを避けて小説仕立てにしてあるが、小説は必ずしも成功していない。だがこの作品からユニークな作家澁澤龍彦の私生活が明らかになる。
 澁澤がとてつもなくわがままだったこと、自分の浮気まで矢川に報告していたこと、何度も何度も妊娠中絶を強いたことなど。しかし矢川が別の男と関係したことを知ったとき、澁澤は直ちに別れを言い矢川もそれを受け入れる。
 別の女性と再婚した澁澤がのちに癌で亡くなったあと、澁澤の年譜から矢川に関する記載が一切消されていたことを知って、矢川は縊死を選んだという。72歳だった。
 澁澤はバタイユやサドを翻訳していて尊敬していたので、このわがままな私生活には驚かされた。そう言えば埴谷雄高も奥さんに何度も中絶させていたらしい。何度も中絶させる男を尊敬することができない。
 もう一冊、矢川澄子『おにいちゃんーー回想の澁澤龍彦』(筑摩書房)を読んだ。澁澤についてあちこちに書いたエッセイをまとめたもの。矢川は詩人で作家のはずだが、文章の力が弱くて読むのが辛かった。

 人は72歳ににもなって、恋の絶望から死ぬこともあるのか。そう言えば山田宏一も、フランスの大プロデューサーのラウル・レヴィが44歳のとき、21歳の娘に振られて自殺してしまったと書いていた。



私の戦後追想 (河出文庫)

私の戦後追想 (河出文庫)

失われた庭

失われた庭