『深夜特急』が書けたわけ

 沢木耕太郎深夜特急』を読んで、旅行をしてから10年も経って、なぜ書くことができたのか考えた。以前書いたエントリー(id:mmpolo:20120906)にも、「細部が充実しているのは詳しいメモも取っていたのだろう」と書いた。まさにそうだったことが、沢木耕太郎『旅する力 深夜特急ノート』(新潮社)に書かれていた。

 ところで、どうして10年も前のことが書けると思ったのか。
 それは、私にとっての「3種の神器」とでもいうべきものがあったからである。ひとつは金銭出納帳のようなノート。もうひとつはその反対のページに記されている心覚えの単語や断章。さらにもうひとつは主としてエアログラムと呼ばれている航空書簡に記された膨大な数の手紙。この3つを参照することで当時のことが克明に再現できたのだ。

 手紙は喜怒哀楽が記されていても行程や費用といった細かいところが省略されているという。その細部が残されていたのが金銭の出納だった。沢木は極端に貧しい旅をしていたために、1日の行程に沿って出ていった金額を克明に記帳していた。

 紀行文を書くに際してとりわけ役に立ったのは、そのノートによってどんなものを食べたり飲んだりしていたのか、それがいくらくらいだったかわかるだけでなく、その1行1行が日々の行動をはっきり思い出させるものになっていたことである。

 紀行文に限らず、たいていのものに細部が大事なのだ。細部が具体性を立ち上がらせ、リアリティーを保証するのだから。
 本書は沢木の『深夜特急』の旅の楽屋裏を明かしてくれる。『深夜特急』の後に読むことをお勧めしたい。
 ポール・ニザン『アデン・アラビア』への厳しい批判があったが、これも的確な感じだった。


旅する力―深夜特急ノート (新潮文庫)

旅する力―深夜特急ノート (新潮文庫)