木田元『ハイデガー拾い読み』を読む

 木田元ハイデガー拾い読み』(新潮文庫)を読む。これは「ニーチェの言葉」とか「ブッダの言葉」のような、著者が適当な文章を選び出し自分に引きつけて勝手な解説を加えたクソ本(失礼)とは断固違う。本書は正確には「ハイデガー講義録拾い読み」だという。

……たしかに、よい翻訳がありさえすれば、ハイデガーの講義録は翻訳で読んでもよく分かる。その意味では、著作とはかなり違う。たとえば『存在と時間』のような著作は、翻訳だけ読んではたしてどこまで分かるものか、私には疑問である。時間はかかっても、原書で読んだ方がよく分かると思う。ところが講義録は違う。著作ではあれだけ言葉を惜しみ、凝縮した文体で書くハイデガーが、講義では噛んでふくめるような話し方をする。そうでなくとも、一般に書いたものより話したものの方が分かりやすい。あまり分かりにくいことは口では話せないものである。

 木田は、ハイデガーのその分かりやすいという講義録をさらに噛み砕いて紹介してくれる。元来難解なハイデガーの哲学だから難しいところはあるが、ていねいに分かりやすく解説してくれている。次の引用は木田によるハイデガーの思想の要約だからちょっと難しいけれど、全体は分かりやすく面白いことを保証します。

 前回、『存在と時間』の予定されていながら書かれないでしまった第2部も、また、その書き直しと見ていい『現象学の根本問題』(1927年夏学期講義)の第1部も、結局は、プラトンアリストテレス以来の伝統的存在論の根底には、〈存在=被制作的存在=現前性〉−−つまり〈ある〉ということは〈作られて、使用可能な状態でいつも眼の前にある〉ことだ−−と見る特定の存在概念が据えられていたということの確認で終わっている、あるいは終わるはずだった、と述べた。(中略)
……彼は上のような存在概念が特定のものであり、存在はこのように了解されるとは限らないと考えていたのであり、それとは違った存在概念と対比して上の存在概念を相対化しようと考えていたにちがいないのだ。それはどんな存在概念だろうか。(中略)
……つまり、〈存在=被制作的存在=現前性〉と見る存在概念が、〈非本来的時間制〉−−〈未来〉はまだなく、〈過去〉はすでに過ぎ去ってなく、〈現在〉だけが突出するかたちで生起する、彼のいわゆる〈非本来的時間性〉−−を生きる現存在の存在了解に根ざす新たな存在概念を浮かび上がらせようというのである。(中略)
……ハイデガーの考えでは、本来的時間性にあっては、〈将来〉はもっとも自己的な究極の可能性であるおのれ自身の死への〈先駆〉として、〈既往〉はあったがままのおのれをふたたびとりもどし、それに意味を与えなおすこと、つまり「反復」として、そして〈現在〉は、そのように先駆し反復することのうちで開かれてくるおのれの置かれた歴史的状況に豁然(かつぜん)と眼を開き、それを「瞬間」的に直視すること−−「瞬間」を意味するドイツ語のAugenblickはAuge(眼)とBlick(視線)とから成り、眼を見開いて直視するという意味にこじつけられないことはない−−として生起する。そして、本来的時間性にあっては、〈将来〉と〈既往〉と〈瞬間的現在〉が緊密に結びつき、しかも〈将来〉が圧倒的な優位に立つ。
 こうした本来的時間性を場(ホリツォント)として生起する存在了解−−つまり、本来的時間性を生きる現存在のおこなう存在了解−−において構成される存在概念とはいかなるものであろうか。おそらく〈存在=生成〉と見る(つまり〈ある〉ことを〈なる〉ことと見る)存在概念だとしか思われない。『存在と時間』ではハイデガーは、現存在を非本来性から本来性へ立ちかえらせることによって存在了解を転換し、新たな存在概念を構築することによって存在者全体との関わり方つまり文化の転換をはかろうと考えていたにちがいない。(中略)
……もともとハイデガーが本来的時間性を場として成立する存在概念ということで考えていたのは、万物(タ・パンタ)を生きて生成する自然(フィシス)と見ていた〈ソクラテス以前の人たち=フォアゾクラティカー〉の存在概念だったのである。彼が企てていたのは、ソクラテス以前の思想家たちをもくわえた壮大な視界(パースペクティブ)のうちにプラトンアリストテレス以降の存在論を据えて、それを相対化しようということだったのである。これが『存在と時間』の隠された構想だったのだが、彼はこの発想をおそらくニーチェから継承したに違いない。

 木田元ハイデガーの講義録『現象学の根本問題』を高く評価する。そのあたりについては以前ここに紹介したことがあった。
 難しい本ではあるが(何しろ哲学書なのだから)、得るところは大きいだろう。
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ハイデガー「現象学の根本問題」の新聞広告(2011年2月6日)
未完の大作「カラマーゾフの兄弟」と「存在と時間」(2007年8月12日)



ハイデガー拾い読み (新潮文庫)

ハイデガー拾い読み (新潮文庫)