『画廊は小説よりも奇なり』を読む

 宮坂祐次『画廊は小説よりも奇なり』(宮祐文庫)を読む。著者は銀座の画廊宮坂のオーナーで、銀座の画廊関係で足掛け40年働いてきて、独立してからも27年になる。その間見聞きしたおもしろいエピソードが100点以上紹介されている。筆が立つのも道理で、手書き新聞『宮坂通信』を一人で1985年8月から22年間、ほぼ毎月231号まで発行してきたからだ。
 「借りて貸した絵が元の場所に」では、千葉の画商から2,000万くらいの日本画はないかと聞かれ、馴染みの画廊から土牛の12号くらいの絵を借りて渡した。その時貸し出し伝票に間違って200万円と書いてしまったらしい。千葉の画商から業者Aに220万円で売られ、Aが業者Bに250万円で売り、Bが業者Cに280万円で売り、Cが最初に借りた馴染みの画廊に300万円で買わないかと持っていった。この間わずか1日。馴染みの画廊から宮坂に電話がかかってきて、「今、うちの画廊にあの絵を買わないかと業者が来ているんだよ。宮坂さん、一体いくらで貸したんですか?」と。
 鶴岡政男の生前の人気についてもここで教えられ驚いた。

「絵はどこに行くのか。それは分かりませんが、私の場合は展覧会がすむと、どこにもゆかず、確実にアトリエに戻ってきます」と、確か鶴岡政男先生が何かに書いていたのを読み、真実を突いているなと笑ったことがある。

 鶴岡政男も売れなかったのか。針生一郎さんが、戦後の優れた絵描き3人を挙げていたが、それが鶴岡政男、松本俊介、麻生三郎だった。それでも売れなかったのか。戦後、井上長三郎ですら、画材屋からツケでキャンバスが買えなかったと嘆いていたのを読んだことがあった。
 宮坂の奥さんの実家から出てきた六曲一双の古い金屏風を某画家に提供し、描き上げた作品はうちの画廊に並べて個展をしてくださいと渡したのに、その画家は勝手に別の画廊に渡して売ってしまった。画家ってどんなに非常識なんだ。
 難波田龍起の絵を一人で集めて、そのため難波田の絵の値段が上がっていったこと。300点以上集めて東京オペラシティアートギャラリーに寄贈した人が寺田小太郎さんだった。
 やはり画廊の主人なので、いろんなコレクターの話題が紹介されている。三浦仂(つとむ)さんが銀座の画廊でイカさんと呼ばれているのは知っていたが、画廊宮坂の女性スタッフがDMを送るとき、縦書きで「三浦イカ様」と書いたことに始まるとは初めて知った。私の名前も正好だが、DMで「正女子様」と書かれていたことがあった。
 宮坂祐次さんの息子さんがベストセラー作家の伊坂幸太郎だ。なるほど文章がおもしろいのは当然だった。
 ただこの本は書店では扱われていないと思われる。奥付を見ると、発行元の宮祐出版社は画廊宮坂と同じ住所になっている。税込み500円。
       ・
画廊宮坂:東京都中央区銀座7-12-5 銀星ビル4階
電話:03-3546-0343
http://www5a.biglobe.ne.jp/~miyasaka/