暮沢剛巳『自伝でわかる現代アート』がおもしろい

 暮沢剛巳『自伝でわかる現代アート』(平凡社新書)を読む。これがとてもおもしろかった。副題が「先駆者8人の生涯」で、フランク・ロイド・ライトマン・レイ、シャルロット・ベリアン、アンディ・ウォーホル草間彌生田中一光イリヤ・カバコフ、クリスチャン・ボルタンスキーが取り上げられている。
 タイトルを見て、最初現代美術に関する安直な入門書かと思った。とんでもなかった。自伝を通して現代アートを追求するというこれまでになかった試みだ。アートという言葉で絵画や彫刻だけでなく、写真、映像、建築、デザインまで包含している。なかでは特に草間彌生田中一光、ウォーホル、ボルタンスキーなどがおもしろかった。
 デザイナーの田中一光の言葉が印象的だった。暮沢は書いている。

田中一光が)担当した(大阪)万博における(政府1号館の)歴史展示の設計というのは、明らかにひとりのデザイナーの職能をはるかに超えた仕事である。田中が心身ともに疲労困憊したことは想像に難くない。だがこの仕事に関わった経験は、田中に以下のような歴史観、文化観をもたらした。この一文は、田中のデザインを考えるにあたっても実に多くの示唆に富んでいる。

 私は大阪万博を担当して、日本が文化輸入国であることを理解した。仏教を始め日本は大陸文化の影響ばかりを受け、オリジナルな文化の大半は、平安と桃山と江戸時代しかないのかと思う。桃山も南蛮の影響を受けてはいるが、影響の受け方が感覚的にスマートで、具体的な真似はしていない。琳派は王朝文化を継承しているし、能の世阿弥と歌舞伎は日本の演劇を独自のものにしたからである。江戸時代はやはりすごい時代である。よく考えてみると日本文化は、世阿弥、利休、琳派、浮世絵、歌舞伎の5つに集約されるように思う。もう一つその前にあるとすれば平安朝と仮名文字かもしれないが、(後略)

 また、草間彌生の章で触れられる現代美術に関する暮沢の考察は正に秀逸と言っていいだろう。

 現代美術、とりわけ草間のこだわる前衛美術ではオリジナリティが絶対視される。とはいえ、ここでいうオリジナリティとは、「他の何にも似ていない」ということと必ずしもイコールではない。そもそも長い歴史を通じてあらゆる表現の可能性が追求されてきた現在、そんなことはほぼ不可能に近い。ここで、初期の草間の作品がシュルレアリスムや抽象表現主義と関連付けられることによって初めて高く評価されたという事実を振り返っておく必要がある。この逸話は、先行作品の持つ様々な文脈、さらには時代性や自らの文化的出自などを踏まえた上で、従来とは違う新たな価値を作り出して美術史に寄与することこそが前衛美術のオリジナリティに他ならないことを示している。もちろん、そんな高度な価値判断が可能なのは、欧米諸国にあっても、美術史にもその他の教養にも通暁したごく一部の富裕なエリート層に限られている(私自身、この部分の説明にはいつも苦労している)。軍隊用語を語源とする関係で、もともとは階級闘争や文化闘争の最先端を担う表現であった前衛美術も、時代とともに徐々にその意味合いが変質し、草間の「戦場」でもある現代の高度資本主義社会においては、もはや価値決定権を握る一部のエリート層を対象とした言語ゲームと化してしまったといっていい(中略)。ましてや21世紀の現在、草間が主に活躍した1960年代と比べても、グローバリズムを背景とした前衛美術の言語ゲームはさらに知的変態度と投機的性格が増大し、その結果、世間一般との乖離はさらに大きなものとなってしまっている。(後略)

 きわめて興味深いことが語られている。ここのところをもっと掘り下げて書いてくれることを強く望みたい。
 現代美術に関するとても興味深い本を読むことができた。この著者の著書をこれからも読んでいこう。