ドナルド・ジャッドのミニマルな作品

 朝日新聞にドナルド・ジャッドが紹介されていた(2012年7月18日夕刊)。

 この「無題No.306」という作品は東京都現代美術館の常設で展示されている。記事は大西若人が書いている。

 作品とは、誰かによって作られたものだろう。この1点なら、引き出しのような10個の鉄の箱がそれにあたる。
 10個が縦一列に、箱の厚みと同じ間隔で重なる「スタック(積み重ね)」と呼ばれるシリーズ。最小限の要素による「ミニマル・アート」を代表するジャッドの、これまた代表的なシリーズだ。(後略)

 このジャッドと草間彌生は友達だった。草間彌生自伝『無限の網』(新潮文庫)で草間が書いている。

 私がドナルド・ジャッドと知り合った頃、彼はコロンビア大学のマイヤ・シュピロの学生で、まだ学士課程にいた。清潔で美男で誠実な人だった。
 大学院の時、アルバイトであちこちに評論を書いて、それで食べていた。私がブラダ画廊で個展をやった時にジャッドは見にきてくれて、私の絵の才能を認めてくれた。彼は私の絵に感動して、とてももちあげてくれた。(中略)ジャッドは私をスターにした功績大である。
(中略)
 ジャッドは、最初のうちはどういう絵を描いたらいいのか、全然わからなかった。彼は評論家だったのだから。ぼくはこういう絵を描いたんだけどと見せてくれたのが、アクション・ペインティングだった。その絵を見たのは私だけだと思うが。
 その絵はあまりに下手で、後のジャッドからは想像できないくらい。アクション・ペインターって、かっこよくサーッ、サーッとやるし、誰でも買いに行った人は買いたい絵にぶつかるんだけど、ジャッドの絵はそういうものではなかった。小さな20センチ四方の絵を20枚くらい、その時見せてくれた。それがはじめて描いた絵で、それからダウンタウンのロフトに移って、どんどん変貌していって、あのように世界的になった。
 もともと評論家で、口が達者だから、理論武装ができる。そのかわりに、手のほうがお留守になって、何をしているのかわからない。やり口を知らないのだから。そうであるからこそ、ああいう方面に進んでいったのだと思う。絞って絞って、やっと頭の中で絞りぬいたのが、なんにもない箱だとかといった単純なものだった。

 さすがに天才は天才を無抜いている。そういえば、フランク・ステラは「俺は絵が描けない」と言っていたというし、宇佐見圭司はバーネット・ニューマンについて「ニューマンには幸か不幸かそのカラーフィールドと垂直線の絵の前史に、貧弱なわずかの水彩画しかない」と書いていた。ポロックの初期の絵もつまらなかった。偉大な才能に絵の巧さは必要ないということだろうか。


無限の網―草間彌生自伝 (新潮文庫)

無限の網―草間彌生自伝 (新潮文庫)