荒川洋治の詩論がとても良い

 昔仕事で世話になったMさんから、相田みつをを読むよう強く勧められた、とても良いから騙されたと思って読んでごらん。もちろん読まなかった。たまに広告なんかで眼にする相田の詩らしきものの俗っぽさが嫌いだった。変な手書きの文字も。
 Mさんは良い人だったが、気の弱い人だった。新潟営業所にいたときに、得意先の人から「赤旗」新聞の日曜版を勧められ断れなくて購読した。きっと新潟の公安警察のリストに載って、東京の本社の人事部にも連絡されてしまっていると言い、俺はいいんだと強がった。その程度でリストに載ったぐらい良いじゃないですかと思ったが言わなかった。
 荒川洋治の『詩とことば』(岩波現代文庫)に相田みつをについて、ちょっとだけ触れられている。

相田みつをの詩は人気だよ、という人もいることだろう。たしかにそれは行分けのスタイルをとる。詩のかたちだ。ほとんどは2、3行の感想のようなもの。見る人が見やすいように、行分けしたものだ。みんな疲れているので、頭をつかわなくてもいいものにとびつく。そんな現代人のためのことばだ。内容的にも表現のうえでも詩というほどのものではない。

 この『詩とことば』は本当にみごとな優れた詩論なのだ。詩作品を引用しながら、詩の意味や社会における役割など多くのことを教えてくれる。詩と散文はどう違うのか。石原吉郎の詩を解説しながら荒川は書く。

 個人が体験したことは、散文で人に伝えることができる。その点、散文はきわめて優秀なものである。だが散文は多くの人に伝わることを目的にするので、個人が感じたこと、思ったことを、捨ててしまうこともある。個別の感情や、体験がゆがめられる恐れがある。散文は、個人的なものをどこまでも擁護するわけにはいかない。その意味では冷たいものなのである。詩のことばは、個人の思いを、個人のことばで伝えることを応援し、支持する。その人の感じること、思うこと、体験したこと。それがどんなにわかりにくいことばで表されていても、詩は、それでいい、そのままでいいと、その人にささやくのだ。石原吉郎の詩は、そうした詩のことばの「思想」によって支えられ、生きつづけることができた。

 荒川は『詩とことば』の別のところで、小山清の小説「落穂拾ひ」のなかに引かれた19世紀スイスの詩人マイヤーの詩「鎮魂歌」を例にとって詩と散文を比較している。それはもう略すが、この作家小山清東京芸大の小山穂太郎のお父さんだ。太宰治に師事していた。
 その荒川洋治の詩をひとつ引く。荒川洋治詩集『坑夫トッチルは電気をつけた』(彼方社)から、「美代子、石を投げなさい」の4連のうち最初の2連を。

宮沢賢治論が
ばかに多い 腐るほど多い
研究には都合がいい それだけのことだ
その研究も
子供と母親をあつめる学会も 名前にもたれ
完結した 人の威をもって
自分を誇り 固めることの習性は
日本各地で
傷と痛みのない美学をうんでいる
詩人とは
現実であり美学ではない
宮沢賢治は世界を作り世間を作れなかった
いまとは反対の人である
このいまの眼に詩人が見えるはずがない
岩手をあきらめ
東京の杉並あたりに出ていたら
街をあるけば
へんなおじさんとして石の一つも投げられたであろうことが
近くの石 これが
今日の自然だ
「美代子、石投げなさい」母。


ぼくなら投げるな ぼくは俗のかたまりだからな
だが人々は石を投げつけることをしない
ぼくなら投げる そこらあたりをカムパネルラかなにか知らないが
へんなことをいってうろついていたら
世田谷は投げるな 墨田区立花でも投げるな
所沢なら農民は多いが
石も多いから投げるだろうな
ああ石がすべてだ
時代なら宮沢賢治に石を投げるそれが正しい批評 まっすぐな批評だ
それしかない
彼の矩墨を光らすには
ところがちがう ネクタイかけのそばの大学教師が
位牌のようににぎりしめて
その名前のつく本をくりくりとまとめ
湯島あたりで編集者に宮沢賢治論を渡している その愛重の批評を
ははは と
深刻でもない微笑をそばづゆのようにたらして

 そして4連の最後はこう締めくくられる。

「美代子、あれは詩人だ。
石を投げなさい。」

 私は自分の好きな詩人は田村隆一鮎川信夫吉本隆明谷川雁黒田三郎あたりだと思っていたが、詩集を3冊も持っていたのは荒川洋治だけだった。『渡世』(筑摩書房)、『心理』(みすず書房)、『現代詩文庫・荒川洋治詩集』(思潮社)の3冊を持っている。


詩とことば (岩波現代文庫)

詩とことば (岩波現代文庫)

坑夫トッチルは電気をつけた―荒川洋治詩集

坑夫トッチルは電気をつけた―荒川洋治詩集