川本三郎『今ひとたびの戦後日本映画』を読んで

 川本三郎今ひとたびの戦後日本映画』(中公文庫)を読む。雑誌『世界』に1992年から1993年頃連載したもの。戦後日本映画について語って、当時の日本の社会を分析したり、ときに女優や男優についても語っている。映画をよく見て深く読み込んでいる。しかし、映画の読みも分析も見事なのに読書中なにかすっきりしなかった。なぜなんだろう。
 おそらくそれは、川本が映画を素材として戦後日本社会を分析しているからだ。映画が社会分析の素材にされてしまっている。映画は個々の監督が作っている。たしかに監督は勝手に作っているが、社会の動向に影響されて作っているのだろうし、その映画がヒットしたり評価されたりしたら、社会に受け入れられたということであり、社会を反映しているとも言えるかも知れない。だが断言できるほどのことではない。映画は社会の正確な反映ではない。映画は社会の正確なエッセンスではない。
 川本の見事な戦後社会論を読みながら、映画を素材にそれを展開していることに対してどうしても恣意的なうさんくさいものを感じてしまうのだ。
 社会を分析するのならもっとしっかりした素材があるはずだ。映画をその素材の補完として使うのなら良いだろう。だが映画だけで社会分析をするのは違うと思う。本書は正に戦後日本映画だけを素材にして戦後社会を論じているのだ。分析結果が見事に見えればみえるほど、予め川本のもつ結論に導入するために映画を使っているような印象を受けてしまう。


今ひとたびの戦後日本映画 (岩波現代文庫)

今ひとたびの戦後日本映画 (岩波現代文庫)