『「ぴあ」の時代』を読む

 掛尾良夫『「ぴあ」の時代』(キネマ旬報社)を読む。雑誌『ぴあ』が2011年7月21号で休刊した。1972年7月に創刊したから39年間続いたのだった。本書はその『ぴあ』の創刊から最大53万部を発行した時代、「ぴあフィルムフェスティバル」を始めたこと、チケットぴあの成功など、『ぴあ』の歴史をたどっている。

『ぴあ』は1972年7月、中央大学4年生だった矢内廣と仲間たちによって創刊された。映画・演劇・コンサートなどの上演情報が掲載されている綜合情報誌である。

 私は創刊後半年くらいから購読し始めたから38年と半年付き合ったことになる。購読当時つまり1973年頃は現在の小劇場、アングラ演劇を見ていたのだが、その情報が本当に少なかった。わずかに日本読書新聞に少しだけ紹介されていた。そんな時に蒲田駅ビルの栄松堂書店で『ぴあ』を見つけたとき、これだっと思って、以来終刊まで読み続けたのだった。
 『別冊ぴあ』として1982年に試験発売された『CALENDAR』が10月に正式創刊され、しかし半年足らずで休刊されてしまったことは残念だった。『ぴあ』本誌が避けてきた映画批評が採り入れられていて期待していたのに。ただ表紙がアメリカで売り出し中だったキース・ヘリングを使っていた。ヘリングは嫌いだった。
 著者はていねいに『ぴあ』の年譜を編んでいる。関係者たちには長時間のインタビューをしている。特に矢内廣社長には「何度も長時間のインタビューに応じていただいた」とある。それだけに批判的な点に欠ける恨みがある。なぜか矢内社長に次ぐナンバー2の人材が必ず退社していったのだ。なぜだったのだろう。
 ページの下の余白に作られた「はみだしYouとPia」というコラムには私も400点応募して160点採用された。その時のペンネームが「5月のあほうどり」だった。選者の春風亭昇太師匠が懐かしい。
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春風亭昇太師匠が「はみだしYOUとPIA」の選者をしていた頃の私の金昇・銀昇・銅昇作品(2008年2月16日)
5月のあほうどり(2007年10月5日)


キネ旬総研エンタメ叢書 『ぴあ』の時代

キネ旬総研エンタメ叢書 『ぴあ』の時代