金井美恵子『ページをめくる指』(平凡社ライブラリー)を読む。楽しい読書だった。副題が「絵本の世界の魅力」といい、雑誌『母の友』に連載した絵本をめぐるエッセイをまとめたものに、石井桃子へのインタビューなどを加えている。最初に片山健の『タンゲくん』(福音館書店)が取り上げられる。片目の野良猫で、名前は丹下左膳から採られている。早速読んでみたが、楽しい絵本だ。片山の描く猫の絵がいい。
あるひ わたしたちが/ばんごはんを たべていると、/いっぴきの みたこともない ねこが/のっそり はいってきました。
ねこは かたほうの めが/けがで つぶれていましたが、/とても りっぱでした。
あたりまえのように/わたしの ひざのうえに すわると、/おとうさんも おかあさんも/なにも いいませんでした。
この文だけからでも猫の出自や「わたし」の家庭のことなど色々考えられる。
「おおきなおおきな くま」と題された章で紹介されるのがE. ラチョフ(絵)とM. ブラトフ(再話)の『マーシャとくま』(福音館書店)だ。金井は、この絵本の「黄色とオレンジ色に塗りわけられた魅力的な表紙」を「カラー・コピーで拡大して壁に飾っておきたい」と思うと言う。
24回に渡って連載されたエッセイで、5回分がピーターラビットの絵本に当てられている。ビアトリクス・ポター作・絵、石井桃子訳の全22巻の小型絵本だ。
うさぎのピーターは少しお馬鹿だし、お母さんによると「おまえたちの おとうさんは、あそこでじこにあって、マグレガーのおくさんに にくのパイにされてしまったんです」と語られる。
金井はうさぎが食べられたことについて書く。
しかし、たくさんの可愛らしい「うさぎ」の登場する数かぎりない絵本のなかで、「うさぎ」が食肉であり、同時に安価な毛皮であることを平気で告げるのは、ビアトリクス・ポターの『ピーターラビットのおはなし』『ベンジャミンバニーのおはなし』『フロプシーのこどもたち』の3冊だけかもしれない。
絵本をめぐるエッセイ集に追加されている「記憶と言葉−−児童文学覚え書」では金井の辛口コメントを読むことができる。
さて、「教養」の一つとして、少年少女小説を読んでいるということは必要なことなのかどうか、よく分かりませんが、読んでいないより読んでいるほうが、なんといいますか、感性が豊かになるかもしれません。40代くらいのポスト・コロニアリズムの学者が、フランスの、植民地ではなく内部の炭鉱少年労働を扱っているマロの『家なき子』をまったく知らなかったり、ドリトル先生を知らない、というのは私には変に思えますし、アヘン戦争とイギリス19世紀経済についての論文を書いているイギリス経済史の若手学者が、資料を元に当時のイギリスでのアヘンの消費量の多さに驚くというのも、有名な『阿片常習者の告白』やディケンズの小説を読んでいないからなのであって、こういうのを無教養といいます。やはり、小説は読まれるべきものなのです。
もう一度「教養」がらみで、
「教養」というのであれば、60年代のアメリカ前衛美術のスター的存在だった、ジャスパー・ジョーンズが来日した時、彼にインタビューした詩人から聞いた話なのですが、ジャスパーは少年時代に(アーサー・)ランサムの小説を愛読したそうです。そういうところが、ジャスパーより日本でもアメリカでも人気があるに違いない下品なアンディ・ウォーホルと違うところであって、それを「教養」と言うのです。
さらに、