小林敏明『〈主体〉のゆくえ』を読む

 小林敏明『〈主体〉のゆくえ』(講談社選書メチエ)を読む。副題が「日本近代思想史への一視角」。これがおもしろかった。日本近代思想で頻出する〈主体〉という言葉=概念の誕生から消滅までをていねいに読み解いている。
 最初subject−objectを明治最初の哲学者西周は「此観−彼観」と訳す。ついで井上哲次郎が「主観−客観」と訳す。やがて西田幾多郎が現れる。西田の1933年の論文「形而上学序論」に「主体」の言葉が、ヘーゲルの影響で使われる。だが、主体の語はマルクスの『フォイエルバッハ・テーゼ』で重要な位置を占めている。
 この西田幾多郎門下から三木清が登場する。西田の主体概念は、パスカルマルクスハイデッガーを学んだ三木清からの影響だったと指摘される。三木清が、京都学派の周辺で「主体」という言葉を「人間的個人を暗示しながら「行為の源」という意味をもって意図的につかわれた最初の例であると思われる」と書く。さらに三木清は「主体」を「主観」から切り離す。三木は「事実としての主体」を言う。

(主体−客体図式に)からめとられた「主体」とは「すでに対象化され、客体化された「主体」であり、そこにはもはや行為をその核において行為たらしめている直接性、現在性、能動性といった本質的要素が失われてしまっている。これに対して「事実としての主体」は、その対象化不可能な直接性そのもののことをいっている。

 主体概念をめぐって、さらに和辻哲郎、田邊元が参加する。そして京都学派の西谷啓治高坂正顕高山岩男鈴木成高らが登場してくる。小林敏明は北朝鮮の「主体(チュチュ)思想」までも京都学派の影響のもとに成り立ったかもしれないと書く。
 戦後「主体」の語は、戦後主体性論争として花開く。中心になったのが梅本克己だった。これに関連して、戸坂潤、武谷三男梯明秀真下信一らが紹介される。
 60年代の学生運動を通して、田中吉六、黒田寛一廣松渉らが呼び出され、しかし主体性という言葉は、学生たちの中に普通名詞のように拡がり、哲学用語としては消えていく。
 主体に変わって使われ始めたのが「アイデンティティ」という言葉だった。本書は日本の思想界に登場した「主体」という言葉の誕生から消失までをていねいに跡づけている。みごとな手腕だ。
 あとがきによると著者は西田幾多郎研究から京都学派の研究へと展開していったらしい。また廣松渉の弟子筋にもあたるようだ。廣松の弟子といえば、これまた優秀な熊野純彦を思い出す。このあたりもおいおいと読んでみたい。

〈主体〉のゆくえ-日本近代思想史への一視角 (講談社選書メチエ)

〈主体〉のゆくえ-日本近代思想史への一視角 (講談社選書メチエ)