辞書の種類

 朝日新聞の「オピニオン」で辞書の世界が取り上げられた(2012.4.10)。学者芸人と肩書きの付いたサンキュータツオさんにインタビューしている。サンキューさんによれば、辞書の編集はその哲学によってまるで違うという。

 国語辞典の世界には、用例の三省堂、規範の岩波書店、という編集哲学の2大潮流があります。三省堂新明解国語辞典は、日常生活で使われる言葉や言い回しの用例を、比較的古いものまで積極的に載せています。
 これに対し、岩波書店の岩波国語辞典、通称『岩国』は新語の採用に慎重で解説はシンプル、規範的な日本語をリードしようという保守的な姿勢です。

 知らなかった。規範の岩国に、用例の新明解なのか。記者が、その哲学はどこで分かるか聞いている。

 最初のページの序文や凡例などに編集方針が載っています。いわば辞書の自己紹介です。用例か規範か、現代語の採録に重きを置くのか。その辞書の哲学、何を大切にしているか分かります。岩国は「最近の新語・俗用には保守的な態度となる」と規範主義の立場をはっきり打ち出していますし、新明解は1972年の初版から「実際の用例について、よく知り、よく考え−−」と用例主義を明確にしています。

 そして新明解は初版で、ほかの辞書を酷評しているという。私は新明解の初版第1刷を発行日1972年1月24日の3日後に買っている。早速、初版の序文「新たなるものを目指して」を読んでみる。その途中から引用すると、

 思えば、辞書界の低迷は、編者の前近代的な体質と方法論の無自覚に在るのではないか。先行書数冊を机上にひろげ、適宜に取捨選択して一書を成すは、いわゆるパッチワークの最たるもの、所詮、芋辞書の域を出ない。

 いや、過激な序文である。ほかの辞書を芋(いも)辞書と呼んでいる。しかし今では小型辞書の36%という圧倒的なシェアを誇っているという。
 ついでに新明解の初版で話題になった言葉に「おやがめ」があった。それを引用する。

おやがめ(0)〔親亀〕親にあたる大きなカメ。「〔速口言葉で〕−の背中に子ガメを乗せて、子ガメの背中に孫ガメ乗せて、孫ガメの背中にひい孫ガメ乗せて、−こけたら子ガメ・孫ガメ・ひい孫ガメがこけた」〔右の成句にたとえを取って、国語辞書の安易な編集ぶりを痛烈に批判した某誌の記事から、他社の辞書生産の際、そのまま採られる先行辞書にもたとえられる。ただし、某誌の批評がことごとく当たっているかどうかは別問題〕

 さて、記者が「タツオさんのお薦めは?」と聞くと、

 角川学芸出版の基礎日本語辞典です。例えば「まず」という言葉。ほかの辞書なら「最初に」「おおよそ」という意味を書き、「まず最初に」「まず間違いない」という用例を並べるでしょう。しかし、この辞書は言葉の中心的な意味を教えてくれます。「まず」には、そもそも「いくつかの中から取り立てる」という意味がある。そこから最初に取り立てる「まず第一に」、可能性の高いものを取り立てる「まず間違いない」と、2通りの意味が生まれたと説明しているんです。小学生から大人、外国人まで、発見の多い辞書だと思います。

 そうなのか、それでは私も『基礎日本語辞典」を買おう。しかし、うちの娘を始め若い者たちはほとんどネットの辞書で済ませているようだ。ネットでは決まった辞書だけが使われている。将来、辞書の多様性がなくなるのではないかと心配だ。
 閑話休題。新明解の序文に「先行書数冊を机上にひろげ、適宜に取捨選択して一書を成すは、いわゆるパッチワークの最たるもの、所詮、芋辞書の域を出ない」とあったが、何冊も植物図鑑を「執筆」している廣田某のやり方も正にそれだった。


新明解国語辞典 第七版

新明解国語辞典 第七版