田中三蔵『駆けぬける現代美術』を読む

 2月末に田中三蔵氏が亡くなった。63歳だった。田中三蔵は朝日新聞の美術記者で、読売新聞の芥川喜好、毎日新聞の三田晴夫とともに新聞社の美術記者三羽烏と思っていた。芥川が読売新聞の日曜版1面に20年近く大きな写真と共に現存する画家を紹介し続け、田中と三田は美術界の現状や個展などの展評を紹介してきた。私は長く朝日新聞を購読していたので、田中の記事はとても身近で参考になった。展評を読んで見に行った展覧会もたくさんあったと思う。田中は本書の「後書きにかえて」のなかで、直前まで在籍していた『アエラ』と、91年以後の新聞に書いたフルネーム署名の記事が約930本、「半署名」と呼ぶ略称の(三)を末尾に明示した記事が約330本、無署名原稿が100〜200本あったと思うと書いている。合計1,500本ほどの記事を書いたことになり、本書ではその中から(15分の1に当たる)107本を選んだとある。
 私はおそらく『アエラ』に書いた原稿以外の田中の原稿はほとんど読んだのではないだろうか。新聞の美術記事に関しては熱心な読者だったのだ。そして本書にはその中の自信作が集められている。
 田中が亡くなったことを教えてくれた画廊主に勧められて購入し、一挙に読んだのだった。こうして田中をまとめて読んで分かったことがある。悲しいことに原稿の内容が薄く、文体が軽いのだ。なぜだろう。私も以前地方の新聞社に頼まれてエッセイを書いたことがあった。ゲラで私の文章はいっぱい手を入れられていた。長い文章は短く切られ、多くの代名詞(それ)を入れられ、なるほど誰が読んでも簡単に分かる文章に変えられていた。それが新聞の文体らしい。私は「これは私の署名原稿だから」と穏やかに依頼をし、原稿を元の形に戻してもらった。だが、朝日新聞社社員である田中三蔵にはそれは許されなかっただろう。また原稿量の規制も大きかっただろう。かくして、このように悲しい結果の評論集が残されたのだった。
 さて、出版社は岩波書店だ。なぜ岩波書店ともあろうものが索引を付けなかったのだろう。ドナルド・キーンが索引のない本を強く批判していた。美術記事を集大成した本だからこそ、画家名の索引が必要とされるだろう。後書き末尾に田中からの謝意が記されている。そこで名前を挙げられている編集者が、その責を負わなければならないだろう。

駆けぬける現代美術 1990-2010

駆けぬける現代美術 1990-2010