コンラッド『闇の奥』をようやく読む

 イギリス文学の古典といえるジョゼフ・コンラッド『闇の奥』(光文社古典新訳文庫)をようやく読んだ。今まで読んでいなかったのだ。それをなぜ今回読んだか。
 昨秋最も好きな作家の一人ジョン・ル・カレの新作『ミッション・ソング』(光文社文庫)を読んだ。アフリカのコンゴの資源をめぐる各国政府や企業の利権争いを描いたこのミステリは同じコンゴの闇を描いた『闇の奥』の一節をエピグラフに掲げている。

「この地上の征服とは、たいていの場合、肌の色が異なる人間、ぼくらよりも多少鼻の低い人間から土地を無理に取り上げることなんだ。よくよく考えれば汚いことに違いない」−−マーロウ

 いつかコンラッドを読んでみようと思った。ついでマリオ・バルガス・ジョサ『嘘から出たまこと』(現代企画社)を読み始めた。ペルー出身の国際作家だ。本書は世界の現代文学を35冊紹介している。日本から選ばれたのは川端康成眠れる美女』だ。これまた私の好きなグレアム・グリーンは『権力と栄光』と『情事の終り』の2冊が選ばれている。2冊も選ばれたのは他にヘミングウェイだけだ。その他、ヘッセの『荒野のおおかみ』やカミュの『異邦人』、モラヴィア『ローマの女』、ナボコフ『ロリータ』、ランペドゥーサ『山猫』等々が紹介されている。そしてこの『嘘から出た〜』の冒頭に取り上げられているのがコンラッド『闇の奥』なのだ。
 コンラッド『闇の奥』はすでに古典として評価も高い。バルガス・ジョサは書く。

 歴史家アダム・ホックシールドは旅行中の機内で、『ハックルベリー・フィンの冒険』で知られる作家マーク・トウェインの著作を読んでいると、1909年に没したベルギー王レオポルド2世によるコンゴ自由国(1885−1908)統治について触れた文章に出くわし、この人物が築いた体制下で500万から600万にのぼる現地人が虐殺された事実を知った。ある種の恐怖と好奇心に突き動かされて調査に乗り出したホックシールドは、後にその成果を『レオポルド王の亡霊』という名高いドキュメントにまとめ上げ、残虐な心と欲望に駆り立てられてアフリカ植民地探険へと乗り出したヨーロッパ人たちの実態を暴いた。この本に書かれた事実や記録は、同じくレオポルド2世−−この名は、ヒトラースターリンと並び、20世紀における最も残酷な政治犯罪者として歴史に刻まれてしかるべきだろう−−の設立した通商会社が横暴の限りを尽くしていた時期のコンゴを舞台とする傑作、ジョゼフ・コンラッドの『闇の奥』を理解する有用な手引きとなるだろう。

 何百万というコンゴ人が不当搾取を受け、通商会社によって、村ごと、家族ごと、個人ごとに、天然ゴム、象牙、コバルトの採取ノルマを強制された。軍事組織すら備えたこの会社は労働者の惨状など慮ることもなく、以前のアラブ奴隷商人すら天使に見えるほど残虐な支配体制を敷いた。労働時間無制限、無報酬という条件下コンゴ人は、日常茶飯事と化した殺人と暴力への恐怖によってのみ働いた。肉体的・精神的懲罰は洗練されたサディズムの域に達していた。ノルマを達成できない者は手足を切られた。採取に遅延の出た村は、懲罰部隊によって皆殺し、焼き討ちの刑に処されたから、震えあがる近隣の住民は逃亡も抵抗もままならなかった。(中略)説得力ある議論をもとにアダム・ホックシールドは、レオポルド2世の残虐行為が続いた21年間にコンゴの人口は半分になったと算出している。

 コンラッドは、レオポルド2世の通商会社によって荒廃したコンゴで6カ月を過ごし、のちに『闇の奥』を書きあげた。しかし本書は白人の立場からのみ書かれていて、ジャングルの奥にこんなにもすさまじい残虐行為があったことは必ずしも明示されてはいない。
 そこでル・カレの『ミッション・ソング』を併せ読めば、もう少しだけ「闇の奥」の実態が伺われるのではないか。レオポルド2世の時代のコンゴから100年経った現在も、コンゴの住民はまだまだその資源をめぐる各国政府や企業の利権争い、隣国の軍事力に蹂躙されているようなのだ。


闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

ミッション・ソング (光文社文庫)

ミッション・ソング (光文社文庫)

嘘から出たまこと (セルバンテス賞コレクション)

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