佐野眞一『昭和の終わりと黄昏ニッポン』を興味深く読んだ

 佐野眞一『昭和の終わりと黄昏ニッポン』(文春文庫)を興味深く読んだ。佐野眞一の本はハズレがない。本書は昭和天皇が亡くなる前後の出来事を前半に置いて、後半は平成に入ってからの事件や出来事を紹介している。前半の「昭和が終わった日」と後半「平成不況を歩く」の合本に多少無理があるが、面白さは損なわれていない。
 その「平成不況を歩く」は、「ルポ 下層社会」「ドバイの百円ショップ」「山谷・沖縄・竹ノ塚 貧困の三都物語」「自殺大国ニッポンの正体」「医療崩壊時代の名医たち」から構成されている。
 下層社会では足立区が取り上げられる。足立区の就学援助率は2004年で42.5%だという。その反対が千代田区で6.7%しかない。足立区の教師が言う。

「……足立区は小学校から学校選択制を導入しています。当然、人気校というものが出てくる。ところが低所得者層が多く居住する地域から、人気校に通える子どもはほとんどいません。バス代を負担できるだけの経済力がないからです。
 この”校間格差”は小泉改革とよく似ています。学校選択の自由といっても、その自由を手にできるのは、交通費に不自由しない裕福な家庭だけなんです。

 貧困地帯として、山谷と沖縄、竹ノ塚が紹介されている。竹ノ塚は足立区の町で、主婦売春で有名なのだという。そこで入ったキャバクラでは大塚愛に似た女の子が昭和天皇のことを知らず、「それって、男ですか、女ですか?」と聞いてきたと佐野が驚き呆れている。
 名医に関する章も面白かった。最初に新葛飾病院の院長清水陽一が取り上げられる。清水はボロ病院だった新葛飾病院を全国から患者が集まる評判の病院に生まれかわらせた。インタビューすると清水自身がガンの治療を受けていた。

 −−ご両親が難病で、清水さんもガンだそうですが、ガンになって人生観は変わりましたか。
「ずいぶん変わりましたね。これまで以上に患者さんの側に立って、病気がみられるようになりました。ガンというのは余命が見える病気なんです。死というものをいやでも意識させられる。それが僕にはすごく楽しい。こんいい病気はないと思っている。雨の音とか、それまで何とも思っていなかったものが、すごく新鮮に感じる」

 そうか、余命を知ることができるのだ。阿部青鞋の俳句を連想した。

虹自身時間はありと思ひけり

 清水は聖路加病院名誉院長の日野原重明についても、「あの先生っていうのは、なかなか商売人なんですよ」と言ってのける。
 清水は2011年6月大腸ガンのため62歳で亡くなる。最後の言葉は「死ぬのは怖くない。でも、みんなと別れるのが悲しい」だったという。
「文庫版あとがき」でも面白いことが紹介されている。

……現在の日本は辺見庸の巧みな比喩を借りれば、一種の”内戦状態”にあるといっていい。
 その辺見庸は、谷川俊太郎が書いたものだと明らかにわかるコマーシャル用の詩を例にとって、現代日本文化の破局的状況を痛罵している。


〈むしろ耳に心地いいことば、穏やかでやさしいことばのなかに、慄然とするような悪が居座っている。ことば自体、ほとんど資本の世界、商品広告の世界にうばいとられている。やさしさも愛のことばも。ことばということばには、資本の鬆(す)が立っています。有名な詩人が大手生命保険会社のテレビコマーシャルのためにもっともらしい文章を寄せる。べつにそれはcrimeではない。ですが、これほど恥ずべきsinはない。ぼくはあれほどひどい罪はないとおもう。あれは正真正銘の”クソ”なのです。堪えがたい詩人のクソ。そうおもいませんか? そうおもわないという人はしょうがないけど、ぼくはおもわないということが怖いのです。おもわなくなったということに戦慄を感じます〉(『しのびよる破局』)


日本生命のテレビコマーシャル用に谷川俊太郎がつくったその詩を、ここで紹介しておこう。


〈保険にはダイヤモンドの輝きもなければ、
パソコンの便利さもありません。
けれど目に見えぬこの商品には、
人間の血が通っています。
人間の未来への切ない望みが
こめられています。
愛情をお金であがなうことはできません。
けれどお金に、
愛情をこめることはできます。
生命をふきこむことはできます。
もし愛する人のために、
お金が使われるなら。〉


 そしてこのあと、「ずっと支える。もっと役立つ保険口座の日本生命」という日本生命のCMコピーがつづく。
”クソ”かどうかは別にして、この詩は現実社会に完全に埋没して批判精神のかけらもない。そこには「二十億光年の孤独」の戦慄や「ネロ」の哀切もなければ、「鉄腕アトム」の詩にこめた未来への限りない希望もない。そこに平成という時代の暗さが凝縮しているようにもみえる。

 谷川俊太郎の詩は本当に巧いと思う。しかし、社会に関わるところが少ないと常々不満に思っていた。武満徹が作曲した「系図」の詩はよかったのに。

昭和の終わりと黄昏ニッポン (文春文庫)

昭和の終わりと黄昏ニッポン (文春文庫)