速水健朗『ラーメンと愛国』を読む

 速水健朗『ラーメンと愛国』(講談社現代新書)を読む。題名から想像される内容とは違ってすばらしい本だ。あとがきから、

 大量生産・大量消費、総力戦体制の戦争、世界大戦後の食糧難、都市化、郊外化、マスメディア時代の到来、情報化社会、こうした20世紀前半の欧米で起きたさまざまな現象を、日本は太平洋戦争での敗戦後に半世紀遅れて経験することになる。
 本書では、こういった20世紀の諸現象を日本がいかに受け入れてきたのかを、「ラーメン」というものさしを通してなぞっていくという試みを行ってきた。

 このとおりの内容だ。戦後のアメリカの日本への食糧援助からラーメンの事実上の歴史が始まる。アメリカは戦時中の小麦の増産から、戦後は小麦が過剰になって価格の暴落にさらされる。その対策として食糧難の敗戦国日本へ援助として大量の小麦を贈与する。しかしご飯の国で小麦は需要がなかった。そこで学校給食にパンを導入し、また麺類に利用することが試みられる。のちの日清食品チキンラーメン安藤百福によって発明される。安藤は台湾からの帰化人だった。
 安藤は「工業製品」としてのラーメンを指向する。これが画期的なことだった。日本に大量生産の思想・技術を伝えたのは、アメリカの数理物理学者、統計学者のエドワーズ・デミングだ。デミングは日本でベストセラーとなった著書の印税で、優れた品質管理の技術を持った企業や貢献者を表彰するデミング賞を創設する。のちにフォードは日本の自動車産業を研究してデミングのことに気づく。1981年、すでに80歳になっていたデミングを、フォードの生産管理の顧問として雇い入れる。
 そしてご当地ラーメンが誕生する。札幌味噌ラーメン、九州とんこつラーメン、喜多方ラーメン等々。しかし、速水はこれらを作られた偽史としての伝統料理だという。本当の伝統料理を駆逐したブラックバスだと。しかし、それを貶めるのではなく、速水は肯定する。
 ついでラーメンの有名店が分析される。

 1990年代半ば以降、いくつかのラーメン屋には、「ラーメン道」的な変化が訪れていた。目に見える最も大きな変化はスタッフの出で立ちである。店主は頭にバンダナかタオルを巻き、作務衣、もしくは手書きの漢字がプリントされたTシャツを着るようになった。

 ラーメンの文化史と言いながら、日本の産業発展史となっている。みごとなものだ。ほとんど名著と言ってもいいのではないか。『バナナと日本人』を思い出した。


ラーメンと愛国 (講談社現代新書)

ラーメンと愛国 (講談社現代新書)