7月21日に音楽評論家の中村とうよう氏が亡くなった。何かに彼の遺書が雑誌に載っていると書かれていた。それをようやく探し当てて読むことができた。「ミュージック・マガジン」2011年9月号に湯川れい子と原田尊志の追悼文とともに、連載していた「とうようズトーク」のコーナーに掲載されていた。まず追悼文の冒頭に書かれた編集部の言葉より
7月21日、弊社の創業者であり、本誌『ミュージック・マガジン』(当時『ニューミュージック・マガジン』)初代編集長だった中村とうようが亡くなりました。
ここでは生前の中村と長く交友があった音楽評論家の湯川れい子さん、本誌の執筆者であり中村とCDの制作に携わった原田尊志さんのふたりに、追悼文を書いていただきました。
中村の死因は自宅マンションでの投身自殺でしたが、その21日に、中村が親しかった方々に遺書が、『マガジン』編集部には最後の「とうようズトーク」の原稿が届きました。この「トーク」を掲載することについては議論もありましたが、読者の皆さんへのお別れの挨拶という故人の遺志を尊重して、94ページに掲載しました。
湯川れい子にも中村からの遺書が届いた。
そしていよいよ武蔵野美大のとうようさんの(寄贈した)コレクション展がオープニングを迎え、そのパーティへのご招待状を頂いた時、あいにく私は韓国への出張が決まっていたために、出席できないことのお詫びとして、スタンド花を贈らせて頂いたのだが、それに対する丁寧なお礼状が、7月19日付の手紙で届いた。その中には、
「コレクション展の最終日に近い9月12日は、親指ピアノのサカキマンゴーとマリンバほかのガジュマル・アンサンブルの共演という魅力的なプログラムを予定しています。れい子さんにはあまりおなじみのない音楽でしょうが、これは楽しめますからぜひお越しいただきたいと思います」
そして、この手紙を読んだのが20日で、その翌日。とうようさん自殺の訃報が届いた。同時に、家には20日深夜にしたためたというとうようさんからの「親しい友人の皆様へ」と題して書かれた遺書が届いた。その書き出しは、「これは遺書ですが、人生に絶望して自死を選ぶ、といったものではありません。まだまだやらねばならない仕事がいっぱいあるのに、それらが実現するまでに要する時間のあまりの長さが予想されるので、短気な私はもう既にウンザリしてしまっており、それで自死を選ぶことにしたのです」という言葉で始まっていた。
でも19日には、9月12日にぜひ来い、と言っていて、翌日は死んでしまうなんて、どういうことなの!? 私は泣きながら怒り、怒りながら泣いた。
原田尊志の追悼文より、
とうようさんが亡くなって幾日かたった夕刻のことだ。自分としては昭和の味がすると思っているテイクアウトの餃子の出来上がりを待っていた中華料理の店先で、いつの間にかアルセニオ・ロドリゲスのボレーロにあわせて鼻歌を歌っている自分に気がついた。あれっ?と思い周囲を見まわすと、キッチン・バーとでもいうのか、飲み屋の前に置かれた小さなスピーカーからアルセニオの曲が流れている。次にはソン・モントゥーノが始まった。特に音楽系の飲み屋とは見えなかったが、店内で流している音楽を客寄せのためにおもてにも流していると合点した。それにしてもアルセニオ・ロドリゲスのRCA録音、いったい何を考えているんだ?と思い、ハタと気がついた。
……そうか、とうようさんの弔いだ。
そして「とうようズトーク」から、
立川のマンションのぼくの部屋から、道を隔てて向かい側にあるビルの屋上に突き出したちょっとした突起物に止まった小鳥が派手な声で鳴いているのに気づいたのは、6月中旬あたりのことだったろうか。雀くらいの鳥だが、なにしろ鳴き声が派手なのだ。ピーピーピチュピチュプルルプピーッ、といった調子で、華麗に鳴き続けている。
こんな風に緊張感もなく平静に書き始めている。そしてアフリカに南スーダンが誕生したことを書き、スーダンが友人だったハムザ・エルディーンの故国だったと書いていく。ハムザのメインの楽器はウードだったと続け、アラブ音楽について書いている。そして、
《例えば老人ホームなどでさんざん周囲の世話になってから死ぬなんてのは、ご免こうむりたい。その代わり一人で死ぬのはもちろん平気だ。孤独死がしばしば問題になるが、一人で生きた老人が誰にも知られずにひっそりと死んでしまったとしたら、それこそ理想的な大往生でしょう。(後略)》
こんなことをこの蘭に書いたのは、07年5月号だった。その前段には《老人としての身の処し方は考えています》なんてセリフがついていたっけ。
(中略)
でも自分ではっきりと言えますよ。ぼくの人生は楽しかった、ってね。この歳までやれるだけのことはやり尽くしたし、もう思い残すことはありません。最後の夜が雨になってしまったのがちょっと残念だけど、でもあたりにハネ飛ぶ汚物を洗い流してくれるんじゃないかって、思っています。実はこのマンションを買ったとき、飛び降りるには絶好の形をしてると思ったんですよ。
という訳なので、読者の皆さん、さようなら。中村とうようというヘンな奴がいたことを、ときどき思い出してください。
中村とうよう氏は死んでしまった。自殺について、先日亡くなった早川さんの友人が、彼の名誉のために書いておくけど早川さんは自殺ではなかったと記していた。自殺を不名誉なことだと言っている。とんでもないことだ。わが師山本弘は自殺したし、友人の原和も自殺した。別の若い友人も自殺だったし、私の最も好きな彫刻家も自殺した。自殺は残された者を、特に残された家族を必要以上に悲しませる。寿命を全うした老人の死だって辛いのに、突然の事故死はもっと辛いだろう。ましてそれが自殺だったら。しかし、だからと言って自殺は決して不名誉なことではない。あえて言おう、死んだっていいのだ。人は死ぬ権利がある。
こんな優れた遺書を残すなんて、中村とうよう氏は何という立派な人格者だったのだろう!!
MUSIC MAGAZINE (ミュージックマガジン) 2011年 09月号 [雑誌]
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