佐藤優『インテリジェンス人間論』のおもしろいエピソード

 先日佐藤優『インテリジェンス人間論』(新潮文庫)の興味深いエピソードを紹介したが、まだまだおもしろいエピソードがたくさんある。

 森喜朗氏は北方領土問題の解決と日露の戦略的提携をとても重視し、筆者も20回以上、ロシア情勢について説明している。(中略)
 政治家に説明するときには、わかりやすいたとえを用いることだ。
「総理、ここにいい女がいます。最終目的はヤルことですが、ガードが堅い。ただ、こちらのアプローチがうまくいってブラだけなら脱いでもいいといっています」
「ほうほう」
「いまのところ向こうはブラだけといっていますが、『それじゃダメだ。パンティもいっしょに脱げ』といって迫るのが得策でしょうか」
「そうじゃない。それはとりあえずブラということで、おっぱいを揉んで先に迫っていく」
「そうです。最終的にはパンティを脱がせヤルことなのですが、相手がそれをOKしないので、いまはペッティングから入るというのが1956年日ソ共同宣言からのアプローチです。平和条約締結後の歯舞群島色丹島の2島引き渡しは共同宣言で担保されているので、まずブラであるここを脱がし、次にパンティである国後島択捉島に迫っていきます」
「佐藤君、わかりやすいたとえだ。使わせてもらう」

 つぎは週に何回セックスをするかという話題。

……以下はあるときモスクワ大学の寮でしたやりとりだ。(中略)
「おいマサル、日本人は週に何回セックスをするか」
「そうだな。相性にもよるが、週2、3回だろう」
「それでよく相手が文句を言わないな」
「ロシア人は何回するんだい」
「人によるな」
 そこにベラルーシ共産党幹部の娘が割り込んでくる。
「理想は週16回よ」
「16回? どういう計算なんだい」
「朝、仕事に行く前に1回、夜1回、土日は昼に1回加わるから週16回になるのよ」
 この16回という数字は、その後も何度か聞いた。このノルマをこなし続けることができない場合はどうするか。恋人や妻には浮気をする権利が生まれる。(後略)

 すごいことになっている。今度は真面目な話題を。

 人間には表象能力がある。イメージをどんどん膨らませていくことができるのだ。ここから文学や芸術が生まれてくるのであろうが、この表象能力が思想に向けられると面倒なことがよく起きる。動物は、たとえば子猫に危害が迫ると母猫は文字通り命を投げ出して敵と戦う。(中略)
 これに対して人間の場合、女でなく男も、恒常的に自らの命を他者や国家、理念、神などのために投げ出す覚悟ができる。この覚悟を作り出すのが思想である。人間にとって自分の命はとてもたいせつだ。そのたいせつな命を投げ出す気構えができた人間は、他人の命を奪うことに躊躇がなくなる。イスラム原理主義マルクス主義、(北朝鮮の)主体(チュチェ)思想、そして私が信じるキリスト教思想も、基本的には「人殺し」を正当化する論理を含んでいる。だから思想を扱うことと殺人は隣り合わせにある。このことを自覚していない思想家は無責任だと思う。

 私は佐藤優のファンになってしまった。このブログでも佐藤について何度も何度も取り上げてきた。


インテリジェンス人間論 (新潮文庫)

インテリジェンス人間論 (新潮文庫)