警視庁の広告にもの申す

 朝日新聞に警視庁の広告が載っていた。ほぼ全7段という大きな広告。

 そのキャッチフレーズ、

けん銃を
持つな 持たすな
社会の目

 ビジュアルは大きく夕暮れの横断歩道があり、その先に薄暗い雑踏が見える。画面の左端に男が立っていて、下ろした右手が拳銃を持っている。それに重ねたコピーが、


その手はそんなものを持つためにあるのか

と、ある。このコピーを問題にしたい。なかなか凝ったコピーだ。警視庁の広告だから半端なものではない。入札で発注先を決めたのだろうが、いずれ電通博報堂、読売広告等々一流の広告代理店が担当したのだろう。しかし、入札だから予算が豊富に使えるわけではない。受注した広告代理店も自社内で制作しないで広告プロダクションに外注したのだろう。だから一流のクリエイターやコピーライターが参加してはいないのではないか。
 これの何がいけないのか。「その手はそんなものを持つためにあるのか」という言葉には誰も説得されないだろう。これでは拳銃を所持することが違法であり、日本国民として決してするべきではないと納得させることができない。しかも華もない。言葉が新鮮に輝いていない。それがいけないと元三流コピーライター兼アートディレクターが言うのである。
 ではどんなコピーなら良いと言うのか。訴求対象を考えると2つある。拳銃を持つヤクザと一般市民だろう。ヤクザに拳銃を持つな訴求するのは効果的ではあるまい。で、一般市民に呼びかける。拳銃を持たない社会を作るという世論を形成することを目的として。私の提案。ビジュアルは映画の1シーンで、拳銃を使ったヤクザの抗争によって倒れている人間を背景にコピーを重ねる。

私たちは許さない

 または、

こんなシーンは映画の中だけだ

 さて。