外国語の難しさ

 朝日新聞2011年11月7日朝刊に、朝日の記者にもウイルスが組み込まれたメールが来たと紹介されている。北京駐在の峯村記者あてに、なりすましメールが来た。その一部、

 峰村先生 先生の中国航空母艦についでのニュスを拝読したいことがあります。先生の頑張るにしたがて、私たち日本人は中国海軍の実力がわかりになることがあります  木村春香

 メールにはさらに「中国海南島三亜の亜竜湾で撮った軍艦の写真を見て欲しい」とあり、ウイルスが組み込まれたファイルが添付されていたという。
 どうみても変な日本語だ。しかし書いた本人は自信があったのだろう。むかし勤めていた出版社に韓国の人から手紙がきたことがある。日本語で書かれたその手紙は、あなたの出版社で発行した本を韓国で翻訳出版したいので許可してほしいと言うものだった。朝鮮半島が日本の植民地であった時代に憶えたのだろうその日本語は先のウイルスメール以上に変な日本語だった。そんなわけで、その件は丁重にお断りしたのだった。
 言いたいことは、私たちも結構変な英語を使っているのではないかということだ。いや私は英語を話すことができないのでその懸念はないのだが、自分では英会話に自信があると思っている御仁にその恐れがあるのではないか。
 長い間フランスやアメリカに住んだ野見山暁治池田満寿夫が、聞きとることは問題なかったが、相手と同じように話すことができなくて、秘かに腹の中で日本語で反論していたと書いている。

「エーゲ海に捧ぐ」を読み直す(2009年3月21日)

 だから外国語を話すべきではないなどと言うのでは断じてない。大いに話すべきなのだ。ただ、自分の外国語が多分完璧ではないことを自覚しないならば、中国のウイルスメールのようなこっけいなことになるだろう。