安西祐一郎「心と脳−−認知科学入門」(岩波新書)を読む。安西は2年前まで慶應義塾の学長だった。「まえがき」で、
心のはたらきにかかわる現象を、伝統的な学問分野や文系理系医系の区分にとらわれず、「情報」の概念をもとにして理解しようとする知的営み、それを「認知科学」と呼びます。(中略)
この本の目的は、認知科学という新しい知的営みの基礎になっている考え方と方法、歴史の軌跡、現状と将来の課題を、できるだけわかりやすく述べることです。
と書いている。著者の執筆意図は十分成功している。特に第II部において、認知科学の歩みがていねいに語られる。「誕生ーー1950年代の息吹き」「形成ーー1960年代の潮流」「発展ーー1970年代の広がり」「進化ーー1980年代の展開」でさまざまな研究者の研究の発展がたどられる。じっくり読めば認知科学の歴史の進展を知ることができるだろう。実にこれは教科書なのだ。ただそれだけにおもしろいエピソードなどは語られないし、少々無味乾燥な印象は拭いがたい。教科書だと思えばそんなものかもしれないが。そんなことを書くのは、つい福岡伸一の面白い語り口を知っているからだ。
と言いながら、興味深いエピソードが紹介されていた。創造性にかかわる心のはたらきは、昔からいろいろな方法で探求されてきたとして、ゴッホなどの精神病理の分析、アインシュタインの思考の働きの推測、ノーベル賞受賞者へのインタビューなどを通して創造性を理解する方法、その他多くの方法が使われてきた、と書いて、
その結果、創造性を発揮するには、類推やイメージのような心のはたらきが重要な役割を果たすこと、たくさんの事例の背後に隠れた構造や法則性を見つける帰納的推理の方法を熟知しているのが重要なことなどがわかってきている。また、基礎になる知識と経験が大量に必要で、それらを身につけるには少なくても約2万時間(1日6時間、1年360日費やして約10年)を要することなどもいろいろなデータからわかってきており、熟達の研究を長く続けているスウェーデン出身の心理学者エリクソンは、これを「10年修業の法則」と名づけている。
10年修業するとモノになる! むかし作家を目指して小説を書き新人賞に応募していた友人に、10年続ければモノになるって言うよ、それにおまえは文体が完成しているし、とアドバイスして喜ばれたことがあった。その「10年続ければモノになる」っていう根拠がこれだったのか。
信原幸弘「考える脳・考えない脳」(講談社現代新書)でも、脳は大量の情報を蓄積し、その結果思考が生まれると書いていた。
本書を読んだあと、春木豊「動きが心をつくる」(講談社現代新書)を読んだ。魅力的なタイトルと裏腹にあまりにも素朴な研究内容に驚いた。「おわりに」で、「時が過ぎて、私が学生時代からやってきた行動主義心理学が衰退していく時代がやってきました。行動ではなく、認知(意識)が主題になり始めたのです(昭和50年代半ば頃)。」そのことが実感された2冊の読書体験だった。
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