地下鉄車内に掲示された葬儀社の広告

 地下鉄車内の額面広告(窓の上の広告)に葬儀社のポスターが貼られている。キャッチコピーが、

「誕生日を祝ってあげたかった…」そんな
娘さんの想いから生まれたお別れの時間でした。

 と書かれている。
 そしてボディーコピーがつづく。

急逝されたお父様の葬儀が執り行われたのは、ご家族みんなで
祝うはずだったお誕生日から、ちょうど1カ月後のことでした。
「今年は祝ってあげられなかった」打合せの際にふともらされた
娘さんの言葉を聞いて、私たちはあることを思いました。
バースデーケーキを用意しよう。突拍子もないことのようですが、
ご遺族の想いを形にするのにふさわしいものだと感じたのです。
お式当日、ひと月遅れの小さなケーキは、娘さんと奥様の手で
棺に納められました。「お父さん、よかったね」そうささやく娘さんの
やわらかな横顔が、私たちの心をはなれません。

 一読して少し臭いものを感じ、素直に感心できなかった。何がいけないのか。
 葬儀は残された者が死を受け入れるための儀式だ。たとえば自著の完成の直前に亡くなった時など、完成した本を棺に入れるのは納得できることだ。バースデーケーキを入れることにどんな意味があるのだろう。あるいは娘さんはまだ小さいのだろうか。
 バースデーケーキを提案したのは葬儀社だ。その結果娘さんが「よかったね」とささやいた。ささいなことにすぎないのに葬儀社の提案が成功したと自画自賛している。針小棒大なことを独り悦に入っている。それが臭いと思った理由だろう。