東京が3月15日に被爆した?


 先日、現代美術画廊会議主催のシンポジウム「3.11以降のアートとアトム」が開かれた折り、パネラーの一人で武蔵野美術大学教授(名を失念)が言われた「東京は3月15日に被爆しました」という発言が気になっていた。それが、8月11日付け朝日新聞朝刊に、ほぼ1ページを占める「放射性物質セシウム134、137の蓄積量」という東北の地図と重ねた各地の放射線量を示した図が掲載され、その解説と「放射性物質の流れのシミュレーション」という図を見て少し分かった。

 福島第一原発の事故による放射性物質の汚染について、日本原子力学会放射線影響分科会は、関東を含めた広域の汚染状況をシミュレーションで検討した。陸地に風が向かい事故による放射性物質が流れていきやすかった3月15日、同20〜23日に沈着したものがほとんどで、特に2号機の水素爆発で放出が深刻だった15日に、雨や雪が重なったことが汚染拡大につながったと分析している。(中略)
 同分科会メンバーの山沢弘実・名古屋大学教授(環境放射能)は9日、気象庁などのデータを基に、原発からの放射性物質の放出率などを独自に加えたシミュレーションを分科会に報告。近く学会のホームページに概要が公表される。

 記事はまず3月14日深夜〜15日夜の状況を解説する。

 3月11日の震災後、第一原発では1、3号機で水素爆発があったが、当時の放出は15日より小さく、風はほぼ海側へ流れていた。
 14日夕方、2号機で炉心の露出が起こり、原発周辺の放射線量が上がり始めた。海に流れていた風は15日朝から陸地に向かい始めた。放射性ブルーム(放射性雲)と呼ばれる放射性物質を多く含む雲のような固まりが、関東平野に流れる状況が正午ごろまで続いた。
 その間、2号機の格納容器で圧力抑制室の破損が起こった。ブルームは原発から約360キロ離れた静岡や関東などへ流れ、各地で放射線量が平常値を超えた。福島県中通りや栃木県北部の汚染は午前9時前後の放出の影響と見られる。
 ブルームは15日午後から主に福島県内で流れる。白河市郡山市福島市など次々と放射線量が上がり始める。夕方になると県内各地で雨や雪が降り始め、そして、現在も蓄積量の高い浪江町飯舘村などの北西方向へ流れ出した。

 これがあのパネラーの言われた「東京は3月15日に被爆している」ということだろう。しかし、本記事によると、東京の被爆は3月21日〜22日らしい。上記に続いて、3月20日午前〜23日の状況が解説される。

 16日早朝から20日未明まで海側に流れていたブルームは、再び陸地に流れ、関東地方を東から西に横断した後、夜から方向を変えて南下した。また、20日午後から発生したブルームは北へ流れた。このとき、宮城北部や岩手南部では20日夕方から21日未明にかけて雨が降った。「飛び地」なのは、このときに沈着した可能性があり、この地域の稲わらの汚染も推測されるという。
 21〜22日は茨城から北関東を抜け、23日は茨城沿岸から千葉を通り南下。関東地方の多くではこの間、連日雨が降って各地で放射性物質が地表に沈着した。山沢教授は「後に神奈川県西部で確認された茶葉の汚染はこの時期の可能性が高い」という。(後略)

 記事に掲載されている「放射性物質の流れのシミュレーション」の図を見るとよく分かるのだが、3月21日〜22日に福島第一原発から放射性物質が南西方向にほぼ真っ直ぐに流れ、それを示す矢印が茨城〜千葉・埼玉県境〜東京〜神奈川〜静岡と引かれている。23日の流れは、茨城の海岸線〜千葉〜神奈川となっている。
 そういえば、23日に東京葛飾区の浄水場で基準値を超える放射性物質が検出され、みながペットボトルの水を買いに走って、しばらくスーパーの水売場が空っぽになったことを思い出した。
 この朝日新聞の記事は図が充実していて、見れば本当によく分かる。まだまだ発表されないことが多いように思う。