丸谷才一「樹液そして果実」を読む

 丸谷才一の新刊「樹液そして果実」(集英社)を読んだ。久しぶりの文学評論集という。冒頭に長めのジェームズ・ジョイス論が2篇並んでいる。ひとつは「若き芸術家の肖像」論、もうひとつが「ユリシーズ」を中心にしたものだった。どちらも私には難しくて読むのが苦痛だった。ただその末尾で、ジョイスの「影響があらはにうかがはれる、この40年ほどの長篇小説をあげてみよう」として、次のリストが示される。
 アントニー・バージェス「時計じかけのオレンジ」、ラッセル・ホーバン「リドリー・ウォーカー」、ナボコフ「ロリータ」「青白い焔」、マヌエル・プイグ「蜘蛛女のキス」、デイヴィッド・ロッジ「どこまで行けるの?」、J. G. バラード「太陽の帝国」、クロード・シモン「フランドルへの道」、ミシェル・ビュトール「時間割」、ガルシア=マルケス百年の孤独」、カルペンチエール「失われた足跡」、イザベル・アジェンデ「精霊たちの家」、バルガス=リョサ「緑の家」。ジョイスもすごいが丸谷才一の多読ぶりにも恐れ入る。
 ついで日本の古典文学が取り上げられる。源氏物語古今集、「王朝和歌とモダニズム」など、これらはなかなか面白かった。「王朝和歌とモダニズム」より、

 吉田健一はどこかで、明治維新以後いろいろな文学思潮が西洋から渡来したけれど、そのなかでどういふわけかモダニズムだけがもっともよい影響を与へ、すぐれた作品を生んだと述べてゐます。たしかに、ロマン主義も、自然主義も、社会主義リアリズムもあまり役に立たなかったのに、モダニズムだけは目覚ましい成果をあげた。そしてわたしに言はせれば、かういふことになつた理由は明白です。だつてもともと『新古今』のせいでモダニズム的性格が用意されてゐたのだから。現在といふ時間を強く意識して未来へと進んでゆく勇敢さ、そのときの人間の生き方の花やかさ、それを尊ぶことこそわが文学の伝統でありました。

 古典文学論のつぎに近代日本文学が取り上げられる。この項がもっとも面白かった。森鴎外論、尾崎紅葉論、折口信夫論、谷崎松子論(松子は谷崎潤一郎夫人)、何とこれによれば谷崎潤一郎の文体を変えたのは松子夫人の指摘によるとのこと。次に伊藤整論、「伊藤整の仕事をどんなに低く評価してゐる人でも、『小説の方法』が第二次大戦後の日本文学でもっとも影響力の大きい評論の一つであることは否定できないはずである」。この後、大岡昇平の『野火』についての思い出が語られ、ついで中村真一郎の『雲のゆき来』がこの作家で一番良いと論じられる。
 この項最後が私の最も好きな吉行淳之介論である。「吉行さんの作品の中から1冊だけあげるとすれば、『暗室』だろう」。そして『暗室』がどんなに良いか語られる。
 まあ、どうでもいいことだが、日本の作家で私が好きなのは、吉行淳之介大江健三郎金井美恵子佐多稲子川端康成らだ。自分でも驚くほど脈絡がない。


樹液そして果実

樹液そして果実