「わたしの開高健」を読んで

 細川布久子「わたしの開高健」(創美社集英社)を読んだ。毎日新聞2011年7月10日の書評で紹介された。

 学生時代に小説『夏の闇』を読み、開高文学の虜となった著者は、雑誌『面白半分』のスタッフとして開高と知り合う。以来、担当編集者、私設秘書として、この個性豊かな作家を常に身近に意識しながら生きていくことになる。
 買い物を代行し、着る物をリフォームし、秘密口座を管理して、愛人とおぼしき女性に送金もする。開高と夫人との複雑な関係、開高の周囲にいる魅力的な男たち、そして何よりも、その圧倒的な作品の力。作家の真相に迫る筆は、敬愛にあふれていて潔い。(後略)

「わたしの開高健」というタイトルは、わたし細川が見た開高ととるのが普通だろう。しかし読み終えてみれば、わたしの(ものである)開高健とも読めてしまう。開高健に傾倒し、縁あって開高の担当編集者になり、個人的な私設秘書の役を与えられ、仕事を紹介され、しかし嘱託だった契約を解除されることになった時、細川はフランスに行くことを決意する。出発が近づいたときそのことを初めて開高に報告する。開高が言った。

 あちらに行けば、キミでもいいという奇特な男もいるでしょう。忘れんとオカモトクンを持って行くんやで。

 秘密口座を任されるほど信頼されているが、異性としてはみられていない。だが細川にとって開高はおそらく理想の男性だったのだろう。フランスに行ってから、細川は一人にだけ開高健のことを語った。ポーランド系フランス人の内気な青年だった。

 共通の話題はワインとフランス料理。私が日本でワインカタログの編集に携わっていたとか、私のワイン水先案内人はタケシ・カイコウという作家であるとか話し始めると、興味深そうな表情で私を見つめている。問わず語りに、開高さんがどんなふうにワイン上達法を指導してくれたか、それに従ってどんふうに経験を積んでいったか、人生最初のグラン・クリュ(ワイン産地の畑の格付けで最上のもの)のシャトー・オーゾンヌがいかに秀でていたか、私は喋り続けた。
 語り終えると、彼は「ケラムール!(直訳すると、"何という愛だろう"という意味になる)」と嘆息したのである。
 当時の私はアムール=愛というくらいにしか考えていないものだから、オヤと耳が立った。どうしてそのような言い方をしたのか尋ねると、彼は言葉を選びながらゆっくり応えてくれた。「アムールには"嗜好"という意味もあるんだ。だからまずはキミのワインに対する情熱に感嘆して。それから"親切な人"とか"優しい人"というニュアンスもアムールにはあってね、キミをそのように指導してくれた、キミの先生の、キミに対する心遣いというのかな、それを想って……」

 細川は彼の口にしたアムール=愛を薄めようと、こんなふうに書き連ねる。第一義的には、何という(開高に対する)愛だろう、と嘆息したのだ。細川にもそれがよく分かった。彼が細川の開高に対する愛に気づいてくれたことが嬉しかったのだ。
 開高健が亡くなったとき、東京にいる親友が電話で知らせてくれる。

 受話器を置いた途端、涙がほろほろとこぼれ落ちた。それが止まらないまま嗚咽になり、私は暗闇の中で声を殺して泣いた。夜が明けるまで、まだ4時間以上あった。

 細川は開高健を深く愛していた。それは異性関係としては実らなかった。しかし自分の尊敬する人と身近に接し、人生に大きな影響を受け、信頼されたことは、性愛にまさるとも劣らない喜びだったろう。そのことはよく分かる。たとえそうは見えなくても、細川の人生は豊かで美しいものだと思う。
 本書は開高健の評伝というよりは、むしろ細川布久子の自伝と言った方が近いだろう。だからと言って、少しも価値が下がるものではない。良いものを読んだという満足感を味わったのだった。
 創美社=発行、集英社=発売。
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開高健ファンである横浜逍遙亭さんの語る「細川布久子著『わたしの開高健』

わたしの開高健

わたしの開高健