「昭和の藝人 千夜一夜」を読んで

 矢野誠一「昭和の藝人 千夜一夜」(文春新書)を読む。新聞の新刊広告で見たとき、漫才の青空千夜一夜を扱ったものかと思って触手が動かなかった。そうではなく、昭和時代の藝人88人のことを短いエピソードを通じて紹介したものだった。
 これがおもしろかった。なぜか。取り上げられている藝人にも読者にも著者が媚びていないからだ。読んでいて気持ちいいのだ。
 民芸の瀧澤修について、

 瀧澤修の舞台では小品の部類に属するものだが、(中略)『日本改造法案』の北一輝も忘れかねている。清水将夫の扮した三井財閥の総帥團琢麿と応接室のようなところでしばしの会談があって、用意された袱紗につつまれた札束を、さっと手にして去っていく場面に舌をまかされた。2・26事件の思想的首謀者とみなされた北一輝が、三井財閥から多額の資金を提供されていた事実は明らかにされていたが、この場面で見せた瀧澤修の金のもらい方には、ある種のうしろめたさも、卑屈なところも、おどおどしたところも、まったくうかがわれない。かと言って、臆面もなく堂堂と受け取るわけでもない。つまりこうした情況で考えられる金の受け取り方の、どのパターンにもあてはまらない金の受け取り方をしてみせた。強いて説明するなら、そこに置かれてあるものを、ごく自然にひろいあげるといった受取方で、それがこの芝居のなかで瀧澤修の北一輝が、ほんの一瞬だけ見せた詩人としての感性だった。

 八代目桂文樂の晩年、両耳がほとんど聞こえなくなっていた。

「この年齢になりますと、たいていのことはきいてしまっているから、いまさらきかなければならないことなど、ほとんどない」
 とつづけた。『平家物語』の平知盛の最後の言葉は「見るべき程のものは見つ」なのだが、桂文樂は「きくべき程のこと」はすべてきいてしまったと達観したのだ。きこえなくてもきこえたふりをしていると、どうしても返事をしなければならないときがある。そんなときは大きくうなずいて、
「近ごろはたいていそうだよ」
 と言えば、ほとんどの用は足りるそうだ。

 森繁久弥について、

 あまりの英雄、豪傑、偉人を演じようとしなかった森繁久弥だが、かと言って権力志向や名誉欲と無縁であったわけではない。知名人との交誼をよくした大正生まれの文学青年にとって、文化勲章は身にあまる栄誉だった。その栄誉を得て以降、庶民像を見事に描いた数数の代表作から自然に距離をとっていったあたりに、この役者の政治が見えてくる。

 一人高座の「おんな放談」吾妻ひな子

 ヒロポン中毒は、師匠だった玉松一郎ゆずり。あれを打っていると、いても立ってもいられない気分になって、衝動的になにか仕事がしたくなる。出番の寸前までそこらにあるもの手あたり次第、洗って洗って洗いまくり、洗うものがなくなるとはいている下着まで洗って、そのまま舞台にとび出した。かと思うと、割烹着に大きなポケットを3つも4つもぬいつける。「そんなもんこさえてなにすんねん」とたずねると、「パチンコ行くんやがな」。玉がいくらでも出るような幻覚に襲われるらしい。

 生没年、出身地、本名、簡単な履歴、代表作等、ちょっとした藝人事典でもある。少ないと1ページちょっと、一番長い越路吹雪で7ページと、こんなに短い分量で手際よく紹介している。渥美清が主演した『ブワナ・トシの歌』の脚本を清水邦夫が書いていたなんて知らなかったし、北林谷栄の若い頃の写真が載っていて、こんなにきれいな人だったということも知らなかった。これで全員の写真が載っていればもっと良かったし、索引があれば言うことはないのだが。



昭和の藝人 千夜一夜 (文春新書)

昭和の藝人 千夜一夜 (文春新書)