武澤林子の俳句

 別れたカミさんから伯母さんの俳句が読売新聞に載ったから見て、とメールがきた。読売新聞の朝刊2面に長谷川櫂が毎日俳句を紹介する「四季」というコラムがある。ここに伯母さんの句が掲載されたのだ。

雲 の 峰 越 え て 移 す や 父 祖 の 墓   武澤林子


 先祖代々の墓を移す。これがどんなに大変なことか、やったことのある人ならわかるだろう。「雲の峰越えて」とはやれやれという難儀さの表現だろうが、それだけではない。悠久の時の流れのなかで生きているというはるかな思いもある。 (長谷川櫂

 俳句を趣味にしている岳父が常々「姉の俳句は上手い」と言っていた。私は岳父の評価をいつも尊重している。伯母は昨年、句集「遍歴」(本阿弥書店)を上梓した。掲載句もこれから採られている。
 この句は葛飾区小菅の正覚寺にあった墓を松本へ移したときのことを詠んだものだ。お墓の移転はまず区役所に届け、法事をし、掘り出した遺骨を運び、また新しいお寺で法事をしたりと本当に大変だったらしい。
 正覚寺には彼岸や盆などに何度も通ったものだった。近くに水道処理施設ができていて住民が移転した無住の地区に運河に囲まれてぽつんと寺が建っている。寺の上空数10メートルの空中を高速道路が縦横に走っているが、初めて墓参りに行った30数年前ちょうど高速道路の工事中で、バカ高い空中で道路が断ち切れていてちょっとシュールな風景だった。寺の裏手の高台になった緑地は小さな公園になっていて、桜の満開時には空中庭園を思わせた。
 句集「遍歴」から何句かを抜き出してみる。

   11月24日岸田稚魚先生逝去
霊 柩 車 の あ と 木 枯 の 追 ひ ゆ け り


散 る 花 の 味 噌 蒟 蒻 に 乗 り た る よ


物 音 の 消 え て ひ と り の 去 年 今 年


帰 る さ の上 野 の 杜 の 初 音 か な

 伯母は大正11年、上野桜木町生まれ、岸田稚魚主宰の「琅�釦」(�釦:王偏に干)入会、稚魚死去後は手塚美佐主宰に師事する。俳人協会会員。


遍歴―武澤林子句集

遍歴―武澤林子句集