森岡純写真展を見て

 銀座3丁目のギャラリー檜Aで森岡純写真展が始まった(6月11日まで)。森岡純は1949年島根県隠岐島生まれ。20年ほど前から銀座のギャラリー檜で毎年6月に個展を行っている。
 今回は大きな4点の写真を展示している。すべてモノクロだ。モルタルの壁の横に車が停まっていてバックミラーが写っている。壁の角が少し崩れていて真っ直ぐな菅が取り付けられている。それに平行して電柱が見える。別の写真ではコンクリートの壁に四角く日の光が差している。壁の上に植物が生え棒が立てかけられてロープが結ばれている。もう一つの写真は真ん中に駐車禁止の交通標識が写っている。左端にマンションらしき建物の壁が見える。4点目の写真は樹木だ。斜めの日の光が樹木の幹に差している。




 昨年のアスクエア神田ギャラリーで開かれた森岡純写真展を紹介した私のブログを再録する。
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 私はもう10年近く森岡の写真展を見ているが、森岡の写真がよく分からなかった。森岡は風景をモノクロ写真で撮っている。それはいつも何だかありふれた街の一角だ。被写体は平凡なものが多く、なぜこれらを撮るのか分からなかった。

 それが最近になってやっと少しだけ分かってきた気がした。森岡の写真にはどんな写真にもあるメッセージがないのだ。写真はふつう報道の写真を典型として、メッセージを持っている。風景写真でも、きれいな風景を見せたいとか、絵画的なそれとか、仰天する自然を見せるとか、写真が何か伝えるべきものを志向している。ポートレートやヌードだってそれは変わらない。ところが森岡の写真にはメッセージがない。

 メッセージがないからといって、写真がつまらないわけではない。そこには不思議な存在感があるのだ。このような写真家は他にいないだろう。渡辺兼人だって、無人の街角に意味があるのだから。

 個展会場で森岡と話した。ふだんの仕事は画家の作品を撮影しているという。30年前に個展をした田村画廊で、展示された作品の撮影をしていた。当時の田村画廊は「もの派」の作家の拠点だったのではないか。もの派の作家たち、高山登などの作品を撮っていたという。そのとき、彼らからずいぶん指導を受けた。

 そうだったのか! 森岡の写真は「もの派」の色濃い影響を受けた写真だったのだ。類似した写真家がいないはずだった。しかし、森岡の写真は見る側にとってとても難しい。20年間発表してきたのに、大きく取り上げられたことがないのがそれを証している。私だけでなく、みんなが分からなかったのだ。写真のセオリーを逸脱した写真だから。

 森岡と他の写真家についても話した。アラーキーは下手な写真家だが、見ていると涙が出てくる。そういうものを持っているのだろう。しかし、アラーキーの花の写真はいただけない。花の写真で優れているのは秋山庄太郎だ。人は秋山なんてと言うけれど、あれはすごい。機会があったら見てごらんなさい。

 森岡純は毎年6月にギャラリー檜で個展をしている。森岡の使うカメラはプラウベルという中型のカメラだ。それを手持ちで撮っている。三脚を用意すると、撮ろうと思った感興が逃げてしまう。現像もプリントも自宅で自分でしている。作品の大きさはロールの印画紙の幅が作品の短辺だ。そんな大きな現像液を入れるバットはない。印画紙を丸めて現像・定着を行っている。それもすごい技術だが、それだけに現像液の温度管理も大変だという。だからここ20年間のギャラリー檜での個展は、気温が適当な6月なのだ。

 森岡純、ひとつの流派、ひとつのスクール、ひとつのユニークな写真を提示した優れた写真家だ。写真に興味があったら、ぜひ見てほしい。
                     (引用以上終わり)
きわめてユニークな写真家・森岡純写真展(2010年8月8日)
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 最近の40年間の写真界で画期的な仕事をしたのは、まずアラーキー、ついで渡辺兼人、もう一人が森岡純だろう。アラーキーはさておいて、渡辺兼人は決定的瞬間でない、特権的でない風景を写真にした初めての人だ。今は写真専門学校の教授として多くの弟子を育てている。渡辺兼人風の写真を撮る若いカメラマンが多いのはそのためだ。森岡は全く別の写真を提示している。森岡の流派に連なるのはとても難しいだろう。眼が特別なのだ。森岡の写真こそ美術館に収蔵されるべきものだ。
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森岡純写真展
2011年6月6日(月)−6月11日(土)
11:30−19:00(最終日17:00まで)
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ギャラリー檜A
東京都中央区銀座3-11-2 高木ビル1F
電話03-3545-3240
http://www2.ocn.ne.jp/~g-hinoki/