「不実な美女か 貞淑な醜女(ブス)か」を読んで

 米原万理のエッセイの第1作「不実な美女か 貞淑な醜女か」(新潮文庫)を読んだ。読書の途中、「環境問題に関するフォーラムを聴講していて、ロシア人の報告者の発言とロシア人の日本語通訳者によるその訳の、あまりの隔たりに感心したことがある。」として紹介されたエピソードに覚えがあった。

ロシア人報告者  (ロシア語で)とりわけ深刻なのは、工業排水が適切に処理されなかったために、地中に染み込み、地下水の汚染を引き起こしていることです。
通訳  (ロシア語から日本語に)特別まじめな問題がありますのでございます。下水は大変汚れて困っているのでございます。
日本側参加者  (日本語で)下水処理場キャパシティーが足りないということですか。
通訳  (日本語からロシア語に)地下水の埋蔵量が不足して利用できなくなったのか。
ロシア人報告者  (ロシア語で)たしかに、地下水に関わるもう一つの問題として、工業用水として濫用されたため、その枯渇が懸念されています。そのため一部地域では地盤沈下の危険性さえ出てきていると、学者のなかには警告する者もいます。
通訳  (ロシア語から日本語に)インダストリーで下水たくさんたくさん使いますのでございます。だから下水もうないのありますのでございます。一定の学者、地球落ちる言いますのでございます。
日本側参加者  ‥‥(絶句)。

 この件を読んだとき、憶えていると思った。以前読んだことがあったのだろうか。しかし最後まで読んでも結局それ以外何も憶えていなかった。米原万理は何冊も読んでいるので、別の本に同じエピソードが紹介されていたのだろう。
 読み終わって居間のテーブルに本を置いておくと、娘がまた買ったの? 前に買って読んだじゃない、読んだ本私にくれたよ、と言った。調べてみると確かにたった5年前に読んでいた。なのに、ほとんどまったく記憶がなかったのだ。ショックだった。
 記憶にないということは印象が薄かったということだ。事実読んでいて特に面白いとも思わなかった。文章がちょっとしつこかった。この半分以下で書けるだろう。でもこれが読売文学賞を受賞しているという。私が米原の処女作にこんなにけちをつけるのは、彼女が書くたびごとに上達していっているからだ。米原はその後、「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」とか「オルガ・モリソヴナの反語法」とか、二度と忘れることのできない名作を書いている。
 いや面白くなかった本書だが、再読して強く印象に残ったところがあった。外国語の学習に関するところだ。

‥‥私どもにとっての母語、つまり生まれてこのかた最初に身につけた言語、心情を吐露しモノを考えるときに意識的無意識的に駆使する、支配的で基本的な言語というのは日本語である。第二言語すなわち最初に身につけた言語の次に身につける言語、多くの場合外国語は、この第一言語よりも、決して上手くはならない。単刀直入に申すならば、日本語が下手な人は、外国語を身につけられるけれども、その日本語の下手さ加減よりもさらに下手にしか身につかない。コトバを駆使する能力というのは、何語であれ、根本のところで同じなのだろう。

 さらに、外山滋比古を引いて言う。

 すでに20年以上も前に、外山滋比古氏は、幼児期にいくつもの言語を詰め込むことの危険性に警鐘をならしている。(「日本語の論理」より)

 幼児期にはまず三つ児の魂(個性的基本)をつくるのが最重要である。これはなるべく私的な言語がよい。標準語より方言がよい。方言より母親の愛語がよい。ここで外国語が混入するのはもっともまずいことと思われる。‥‥(中略)
 方言、標準語、外国語が三つ巴になって幼児の頭を混乱させるからである。‥‥(中略)
 家族づれで外国生活をしてきた家庭の子供にしばしば思考力の不安定なものが見受けられるのは、幼児の外国語教育がもし徹底して行われると、どういうことになるかというひとつの警告と受け取るべきであろう。

 外国語を学ぼうとするなら、まず母語(日本語)を徹底的に学ぶことだ。米原は「多くの場合外国語は、この第一言語母語)よりも、決して上手くはならない。」とはっきり言い切っている。


不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)

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嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

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オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)

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