日本語の基盤にアクセントはない


 詩人の藤井貞和「日本語と時間」(岩波新書)を読んだ。副題が「〈時の文法〉をたどる」として、古代人が使い分けた過去の表現を分析している。かつては過去を表すのに「き」「けり」など6種もの「助動辞」を使い分けたのが現在では「〜た」一辺倒になっている。そのような、文法を主題としているのにこれがなかなか面白かった。
 後半の「第6章 時と技巧−−通時論的に」でアクセントについて語られる。「日本語の基盤にアクセントはない」と。

 日本語の基盤ということを考えてみよう。言語のリズムならびにアクセント、イントネーションについて。まず、日本語にはアクセントがあるか、ないか。
 常識からすれば、現象上、関西アクセントと東京アクセントとの対立があるとか、強弱アクセントはなくても高低アクセントがあるとか、日常的な話題のレベルでならアクセントは大いに"ある"。しかし基層日本語においては、アクセントが"なかった"はずである。

 そうしてアクセント学者平山輝男作成のアクセント分布図が示される。それが下記の図だ。

 濃い部分は東京アクセント及びそれに類似するもの。
 薄い部分は京都アクセント及びそれに類似するもの。
 白い部分は一型アクセント。この白い部分は、(ア)関東北部から、福島県宮城県南部、山形県南部など、奥羽地方。(イ)静岡県大井川上流。(ウ)福井県福井平野地方。(エ)愛媛県大洲市。(オ)宮崎県、熊本県佐賀県長崎県五島列島へ、九州を横断。(カ)伊豆八丈島。というエリアだ。

厳密には無アクセントないし曖昧アクセント地域だと、地図の中の白い部分を言い換えてよかろう。(中略)
 平山地図で言えば、(ア)−(カ)はまさに日本社会の、適切な語かわからないが"山間僻地"や、盆地や、あるいは孤立した島嶼や、東北/九州などの、古層の日本語をわりあい残した地域に点在している。大井川上流や伊豆八丈島などは、地道な研究者たちの努力により、日本語の古層をよくのこした地域として知られるようになってきた。

 私は長野県南部の喬木村で生まれ育った。そこは(イ)静岡県大井川上流のさらに北に位置する。上記地図で中央の赤い点を付したところだ。中学のときに国語の教科書にイントネーションが紹介されていた。「たまごやき」という言葉に付されたアクセント記号に従って発音すると、私の地域のイントネーションとは全く違った結果になってショックを受けたことを憶えている。私の地域では「たまごやき」も「ラーメン」も「富士山」もすべて「ザード」のように平坦に発音するのだ。まさに無アクセント地域なのだ。
 その天竜川の流れる長野県の地域を伊那谷というが、伊那谷は日本語の古層をのこした地域としても知られている。子どもの頃暴れることを「あらびる」と言っていたが、これは古語の「あらぶ、すさぶ」が残ったものだし、ジバチのことを「すがら」と呼んでいたが、これも蜂の古語「すがる」が訛ったものだろう。
 以前勤めていた会社の後輩が茨城県土浦市の出身で、言葉に私同様アクセントがなかった。伊那谷と土浦と離れているのになぜかと思っていたが、上記地図でどちらも白い部分に相当する。
 藤井は最古の日本語が無アクセントであったばかりか、神社祭祀での祝詞の唱え方や、民間の古い宗教での祭文や経文の唱え方にのこされているのではないかと推測し、短歌を棒読みしたりする一音一音の等時拍を太平洋諸語と共通すると推定する。さらに七五調の音数律はタミル語から来ているのではないかという大野晋の学説を紹介している。
 きわめて刺激的でおもしろい「文法」に関する本だった。