想定外とは

 原発事故に関連して、「想定外」という言葉が聞かれる。それが何だかうさんくさい感じがする。なぜなんだろう。
 日本語は主語を省くことができる。省いても誰の発言なのか普通はわかるだろう。その構造を利用して、本来必要なのにあえて「誰の発言なのか」を省くことがある。何のためか。この場合、想定外だと考えていた主体を隠してあいまいにするために。
 具体的にみてみよう。震度8の地震がくることは「東電としては」想定外だった。地震の結果大津波原発を襲うことは「原子力保安院としては」想定外だった。
 このように発言すれば、地震の結果や津波の結果は、それを想定していなかった東電や原子力保安院の責任だということになってしまう。
 このような地震津波は想定外でした、と言えば、想定していたのが誰なのか不分明になって、何となく地震学の学説か何かが想定していなかったかのように、責任の所在をあいまいにできる効果がある。
 それが感じられるから、うさんくさいという印象を抱くことになるのだろう。