藤井省三「魯迅」を読んで

 藤井省三魯迅」(岩波新書)を読んだ。副題が「東アジアを生きる文学」とある。今さら魯迅なんてという浅はかな考えは大きく修正させられた。藤井は魯迅の生涯をていねいに描いていく。その多くは知らないことだった。魯迅に対する見方が少しずつ変わっていく。
 とくに「魯迅大江健三郎」の章は、とても興味深いものだった。

 1994年、大江健三郎(1935〜)がノーベル文学賞を受賞したとき、母の小石(こいし)は大江にこう言ったという。「アジアの作家の中でノーベル文学賞に最もふさわしいのは、タゴール魯迅です。健三郎はそれに比べたらずっと落ちますよ」大江によれば彼の母は中国文学に深く傾倒して魯迅を敬愛しており、1934年には大江の父の好太郎と共に四国の山村から上海旅行に出かけて魯迅が創刊した『訳文』という雑誌を購入し、長い間、愛読していたという。『訳文』は1934年9月に魯迅が茅盾らとともに上海で創刊した外国文学翻訳の専門雑誌で、大江の母親は中国語が読めたのである。
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 そして1947年、四国の山の村にできた新制中学に進学した大江は、母より佐藤春夫・増田渉訳の岩波文庫魯迅選集』を贈られており、それ以来魯迅を愛読しているという(大江『定義集』『朝日新聞』2006年10月17日朝刊)。2007年5月18日、東京大学における講演「知識人になるために」に際し、私が魯迅からどのような影響を受けましたか、と質問したところ、大江はおおよそ次のように答えてくださった−−魯迅は自由に短篇小説を書き、小説の形式を作っていきました。一人の知識人が世界に向かって切実なことを訴える、そういう文体を持っており、捨て身の告発をしました。私も短篇小説を書く時にはしばしば魯迅を思い出していたものです。

 大江の母親が中国語が読める人だったとは知らなかった。そういわれれば、大江の小説に現れる作家自身とおぼしい主人公の母親は並みの人間ではなかった。実の母親が深く投影されていたのか!
 ついで魯迅を語って第一人者とされてきた竹内好が批判される。

 また竹内は政治と文学の対立という構図で魯迅論を展開していた。戦時下を生きていた竹内にとって、「政治と文学」は極めて深刻な意味を持っていたのではあるが、魯迅が生きた1900年代から30年代の中国における政治と文学の状況は、竹内が直面していた戦時日本的状況とは相当に異なっていた。魯迅論としては竹内の議論は不毛な観念論であったといえよう。

 さらに、何と竹内の訳文も批判される。

 岩波文庫の(竹内好の)改訳版は旧訳版を「抜本的に」改めたものだが、次の二つの土着化傾向は続いている。第一の傾向は、魯迅の原文と比べて竹内訳が数倍の句点『。』を使って、本来は数行にわたる長文を多くの短文に切断している点である。そもそも魯迅文体の特徴の一つに、屈折した長文による迷路のような思考の表現が挙げられよう。しかし竹内訳は一つの長文を多数の短文に置き換え、迷い悩む魯迅の思いを明快な思考に変換しているのである。

 これに続けて魯迅の原文と藤井省三の訳文、竹内好の訳文が並べられる。そして、

 魯迅の文体は屈折した長文による迷路のような思考表現を特徴とするが、竹内訳は一つの長文を多数の短文に分節化して、明快な日本語に変換しているのである。伝統と近代のはざまで苦しんでいた魯迅の屈折した文体を、竹内好は戦後の民主化を経て高度経済成長を歩む日本人の好みに合うように、土着化・日本化させているのではないだろうか。

 竹内訳による第二の傾向は、大胆な意訳であると、これも詳しく論じられる。藤井の主張は大変説得力がある。
 最後に「村上春樹の中の魯迅」という魅力的な章が立てられる。村上春樹に対する魯迅の深い影響が指摘されている。
 藤井省三魯迅光文社古典新訳文庫「故郷/阿Q正伝」になっている。ぜひ読んでみよう。

魯迅――東アジアを生きる文学 (岩波新書)

魯迅――東アジアを生きる文学 (岩波新書)

故郷/阿Q正伝 (光文社古典新訳文庫)

故郷/阿Q正伝 (光文社古典新訳文庫)