「生誕100年 岡本太郎展」が開かれている


 東京国立近代美術館で「生誕100年 岡本太郎展」が開かれている(5月8日まで)。本展のちらしから、

 2011年、岡本太郎(1911ー1996)は、生誕100年を迎えます。
 岡本太郎といえば、1970年の大阪万博のシンボル《太陽の塔》、そして「芸術は爆発だ」をはじめとするインパクトにみちた発言、数々のテレビ出演など、20世紀後半の日本において、最も大衆的な人気を博した芸術家といってよいでしょう。
 1996年に没してからも、長年彼の秘書をつとめた岡本敏子の尽力もあり、再び若い世代を中心に、彼に関心を持つ人々が増えてきています。1998年には生前のアトリエが岡本太郎記念館として公開され、1999年には川崎市岡本太郎美術館が開館、さらに近年は巨大壁画《明日の神話》がメキシコで再発見されて2008年に渋谷に設置されるなど、彼をめぐる話題はつきません。
「今日の芸術は、うまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」と主張した彼の人生は、さまざまな既成の価値観との「対決」の連続だったといえるでしょう。(後略)

 東京国立近代美術館の企画展だから覗かないわけにはいかない。で、私も一応見てきた。震災後にもかかわらずお客さんがだいぶ入っている。以前同じ美術館で見た平山郁夫展ほどではないが。岡本太郎平山郁夫、人気の点では共通しているようだが違う点もあった。平山郁夫展ではお客さんの年齢がより高く、小さな声で「いいわねえ」と言い合っていた。対して岡本太郎展のお客さんは年齢がより若く、みな押し黙って黙々と作品を眺めていた。どうみたら良いのか戸惑っているようだった。
 平山郁夫の作品は砂漠をラクダの隊商が並んで歩いていたり、エジプトのスフィンクスの像が描かれていたりと、言ってしまえば分かりやすかった。ところが岡本太郎の絵はやたらごちゃごちゃと色々なイメージが描きこまれていて、どう見たらよいのかよく分からないのだ。どうしてこの絵が良いのだろうと考えているのではないか。

 実は岡本太郎の絵はつまらないのだ。平山郁夫ほどではないにしろ。代表作といえば「森の掟」や「太陽の塔」あたりになるのだろうが、「森の掟」はイラストみたいで、これなら横尾忠則の方がずっといいし、「太陽の塔」が万博のモニュメントでなかったら疾うに忘れられているに違いない。有楽町の公園に設置されている時計台を兼ねた「小さな太陽の塔」みたいに。最近発見されて渋谷駅のコンコースに取り付けられた大きな壁画「明日の神話」も「森の掟」と大同小異だ。
明日の神話」については、野見山暁治さんも書いている。

 ヒロシマナガサキ被爆をテーマにしたこの壁画(岡本太郎明日の神話」)を、広島市内に恒久設置したいという趣意書と〈サポーター登録・承諾書〉という用紙が入っている。
 この画家の絵、ぼくは好きじゃない。岡本太郎とはパリのキャフェで時おり出会った。個展の飾り付けを手伝ったりもした。邪気のない人だったが、それが日本で誤解もされ、有名あつかいもされた。それはともかく、あの絵は体質的に合わない。合わない絵を恒久的に見せられるのは嫌だ。原爆という人類の罪を、あの絵が具現しているとは、とても思えない。

 岡本太郎で最も評価できるのは「痛ましき腕」だろう。これは1936年にフランスで制作したものを1949年に日本で再制作したものだ。池田龍雄さんともう一人の画家が、「痛ましき腕」の小さな写真に升目を引いて大きな画面に描き起こし、それに岡本太郎が着彩したものだ。彦坂尚嘉さんが塗り絵みたいだと言ったけれど、これはきれいな作品だ。
 なんだかんだ言いながら、私はけっこう何度も岡本太郎について書いている。
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岡本太郎美術館の池田龍雄展「アヴァンギャルドの軌跡」とモートン・フェルドマン(2010年12月31日)
瀬戸内晴美「かの子撩乱」がすばらしい(2010年4月23日)
私の岡本太郎論(2009年9月11日)
世田谷時代1946-1954の岡本太郎」展を見る(2007年5月12日)
岡本太郎の書(2006年12月21日)
岡本太郎(2006年11月21日)
岡本太郎の「痛ましき腕」(2006年8月24日)