井上ひさしの「日本語教室」がおもしろい

 井上ひさしの「日本語教室」(新潮新書)は面白く有益だ。これは井上の母校上智大学で4回にわたって講演したもの。よく売れているらしいが、深い内容をやさしくおもしろく書いているから、売れないはずがないだろう。
 まず、「母国語」と「母語」はまったく質が違うというところから話が始まる。

……脳がどんどん育っていくときに、お母さんや愛情をもって世話をしてくれる人たちから聞いた言葉、それが母語です。
 赤ん坊の脳はまっさらで、すべてを受け入れる用意がしてあります。ですから、日本で生まれても、まだ脳が発達していない前にアメリカに行って、アメリカ人に育てられると、アメリカ英語がその子の母語になります。赤ちゃんは、自分を一番愛してくれる人の言葉を吸い取って、学びながら、粘土みたいな脳を、細工していくわけです。
 有名なアヴェロンの野生児とか、いろいろな都合で人と会う機会がなくて、森の中で育った子どもを後で引き取ったと言う事例がありました。それでわかったのは、15歳ぐらいを過ぎると、どんな言葉も覚えることはできないということです。言葉は、脳がどんどん生育していくときに身につくものだということを、ここでしっかり確認してしておきましょう。
 言葉は道具ではないのです。第二言語、第三言語は道具ですが、母語第一言語は道具ではありません。アメリカでは、20世紀の前半に「言語は道具である」という考え方が流行しました。アメリカの合理主義と相まって、一時期、世界を席巻しますけれども、やがてだんだんと、そうではない、母語は道具ではない、精神そのものであるということがわかってきます。母語を土台に、第二言語、第三言語を習得していくのです。ですから、結局は、その母語以内でしか別の言葉は習得できません。ここのところは言い方がちょっと難しいのですが、母語より大きい外国語は覚えられないということです。つまり、英語をちゃんと書いたり話したりするためには、英語より大きな母語が必要なのです。だから、外国語が上手になるためには、日本語をしっかり−−たくさん言葉を覚えるということではなくて、日本語の構造、大事なところを自然にきちっと身に付けていなければなりません。

 とても大事なことが語られている。「15歳ぐらいを過ぎると、どんな言葉も覚えることはできない」「母語は道具ではない、精神そのものである」「母語より大きい外国語は覚えられない」母語がどんなに大切かということだ。
 他にもおもしろく大切なことがたくさん語られている。ぜひ多くの人に読んでほしい。

日本語教室 (新潮新書)

日本語教室 (新潮新書)