井上ひさし「ふふふ」を読む

 井上ひさしのエッセイ「ふふふ」(講談社)を読む。雑誌「小説現代」に連載したものをまとめたもの。途中までは400字詰め原稿用紙2枚程度の長さだったが、のちに6枚くらいに増やされた。こんなに少ない分量でも興味深いことが書かれるのだ。
 まず「林芙美子のこと」から。
 林芙美子を主人公にした芝居を書くために資料を読み込んだ。林芙美子は戦時中中国へ派遣されて従軍記事を送っていた。それが戦後反戦作家に変わる。

 あの8月15日を境に、「反戦作家」に豹変した文士たちが多かったことは周知のところであるが、芙美子の場合は、そんな安手な「反戦作家」ではなかった。

 なぜ芙美子が本当の反戦作家に変わったのか。

 この謎を解くために戯曲を書いているわけで、その解明は上演時までは内緒である。しかし、一つだけ種明かしをしておくと、ジャワ島から朝日新聞の飛行機で南ボルネオのバンジャルマシンへ移動したとき、彼女は空中から見た運河の美しさに驚く。オランダの植民地経営では、開拓民を入植させる前に、まず運河を作り宿舎を建てる。つまり社会装置をしっかり作ってから開拓民を迎える。
 ところが、かつての満州開拓は、〈耕地もなければ、道すらもない、しかも家もない荒涼とした寒い土地へ無造作に人間を送り、その開拓民たちが、まづ、住む家を作り、それから耕作して、何年目かにトラックの道をつけるのです。何の思ひやりもなく裸身のまゝの人間を送りこんで、長い間かゝって、やつとどうにかなつた時にこの敗戦なのです。政府が、満州の開拓民の人々にどれだけの責任を負ふのでせうか。……〉(『作家の手帳』)

 昔ソ連の最新式戦闘機ミグ21が北海道へ亡命してきた事件があった。ミグ21を調査した結果、飛行性能や戦闘機能は優れているのに、パイロットの居住性がひどいと書かれていた。この居住性のひどさは太平洋戦争中の日本の戦闘機も一緒だった。何に比べているのか? 英米の戦闘機なのだった。ここでも満州開拓民に対する姿勢と同じものがある。
        ・
 さて、「ふふふ」の続き。「ギャグの神様」の項で、その神様が森川信であると紹介される。「男はつらいよ」のおいちゃん役だ。

 坂口安吾の読者なら、昭和13年3月、京都の新京極の国際劇場に出演していた森川信安吾が激賞していたことはご存知だろう。
 そしてついに昭和19年1月、松竹と契約していた森川信は「新青年座」を率いて浅草国際劇場に出演する。副座長は山茶花究(さざんかきゅう)。文芸部には淀橋太郎と竹田新太郎がいた。
 この時が絶頂期、1カ月間の興業で約20万人の観客を完全に笑殺し去った。「おもしろさではエノケン、巧さでは森川信」といわれたのもこの頃のことだ。

 この後、森川信の巧みなギャグが紹介される。
 また、一度も舞台に立ったことがない素人(後の淀橋太郎)を舞台に乗せたとき、弱音を吐いた男に森川信はこんなことを言った。

「客に背を向けないようにしていればいいんだから、心配するな」(中略)。
 後年、千田是也さんと話をしたときに、じつはこれがあらゆる俳優の第一の心がけだと分かったのである。
「先生からごらんになって、日本一の名優は、だれだとお思いになりますか」
「瀧澤修こそ本邦最高の名優でしょう」
 その理由はこうである。
「彼と芝居をしているとするでしょう。ところが、そのうちにふっと気がつくと、いつの間にか、こっちが客に背を向けているんですよ。そこが天才であることの理由なのでしょうが、彼は相手役が客に背を向けてしまわざるを得ないように、巧みに場所取りをしてしまうんです。どんなに抵抗してもだめですね。かならずこっちは客を背中に背負ってしまっている。役者が客に背を向けてしまっては負けです。役者というのは客に顔を見せるのが仕事ですからね。

ふふふ (講談社文庫)

ふふふ (講談社文庫)