小林聡子の作品は難しい

 銀座1丁目のギャラリー現で小林聡子展「箱とドローイング」が開かれている(1月22日まで)。会場に入るとスタンドの上に置かれた箱状の立体が眼につく。


 一方、壁には何やらレリーフのような立体が設置されている。両者はどんな関係があるのだろう。最初、関連性が分からなくて違和感があった。



 別の壁にはドローイングが展示されている。ミニマルのような細かな仕事で、これは分かるように思われた。

ドローイング

ドローイング(部分)

 小林聡子の個展は2008年11月に秋山画廊で見てブログに紹介した。薄い紙で作った大きな箱を床に並べて展示していた。ところが昨年藍画廊で見た個展は分からなかった。秋山画廊の展示との関係が見えなかったのだ。
 今回は小林に話をきくことができた。箱状の立体は正しく出来合いの紙の箱で、それに油彩を塗りサンドペーパー(?)で磨いている。油彩を塗ったせいで箱が微妙に歪んでいる。それが良いと言う。
 壁の立体はこれも油彩を塗った紙の箱で、底と蓋を離して並べている。大きさがわずかに違うので、すぐに箱だと分かってもらえると思ったという。箱を重ねて展示するか、バラして壁に並べるかの違いなのだ。昨年の藍画廊での展示も今回の壁に並べた箱の作品だけで表現したのだったが、なかなか箱とは理解してもらえなかったようだという。
 さて、ドローイングは無条件にきれいな作品だった。格子状の形なのだが、線を引いているのではなく、水彩で四角を描いている。塗り残した部分が線になって見えるのだ。根気のいる仕事に違いない。しかし根気の有無には関係なく作品として完結していて、これはちょっとほしい気がしたし、事実何点か売れていた。
 秋山画廊での個展の時、作家は「箱は容れ物です、存在も容れ物のようなものだと思う」と言った。それを聞いて、私は次のように書いた。

 容れ物としての存在、存在を容れ物として受け止める作家の世界観を作品として提示している。これえは仏教的な思想ではないだろうか。命が姿を変えて輪廻していく。その容れ物としての存在がごろんとギャラリーの床に転がっている。興味深いインスタレーションだ。

 今回のやはり柔らかい歪んだ紙の箱、それは存在のアナロジーなのだろう。しかし、小林聡子の作品は難しい(それが快くもあるのだが)。
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秋山画廊の小林聡子展(2008年11月18日)
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小林聡子展「箱とドローイング」
2011年1月11月(火)−1月22日(土)
11:30ー19:00(土曜日17:30まで)日曜休廊
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ギャラリー現
東京都中央区銀座1-10-19 銀座一ビル3階
電話03-3561-6869
http://www.jpartmuseum.com/g_gen/