井上ひさし「この人から受け継ぐもの」を読んで

 井上ひさし「この人から受け継ぐもの」(岩波書店)を読んだ。「この人」とは、吉野作造宮沢賢治丸山真男チェーホフ、それに「笑いについて」で言及されるイギリスの風刺作家ジョン・ウェルズなどなどだ。
 吉野作造大正デモクラシーの理論的支柱だということは知っていたが、その弟吉野信次が商工省の高級官僚で、部下に岸信介木戸幸一がいたことは知らなかった。吉野兄弟を「兄おとうと」という芝居に書いているという。これは読んでみたい。

 吉野作造は、日本にとっくになければいけないのに、まだない仕事を一人で始めます。たとえば、お金がなくて産婆さんさえ呼べない産婦さんを収容する、貧民のための産院をつくる。お医者さんにかかるお金がない人のための貧民病院をつくる。大工さんが道具を質屋に預けて、仕事がある時は、質屋に行ってお金を払ってその道具を取り戻さないと仕事ができない、そういう人のための貧民銀行、つまり相互金庫をつくる。
 娘さんたちが自立するためには手に職をつけないといけない。そのための女子の職業学校をつくる。中国の天津に3年間いたせいもあって、苦労している中国人や朝鮮人の留学生の学資の面倒を見る育英制度をつくる。誰でも体の具合が悪ければ病院に行けるという制度はまだありませんから、それをつくる。それらを全部、自分一人でやっていきます。それから生活協同組合の原型、つまりどこかからいいものを安く買ってきて、会員がそれを安く買う生協みたいな仕事、そうした仕事の理事とか理事長をやっていくんです。

 宮沢賢治について、

いま非常に読まれている作家は年代順に夏目漱石宮沢賢治太宰治と三つ並べられます。この三者に共通しているのは、話し言葉に近い文章です。とくに漱石の『坊ちゃん』や『草枕』がそうですが、ほとんど会話調です。つまり、だれかにしゃべっているように書いている。
 じゃあ、しゃべり言葉を字に書けばいいかというと、そうじゃないのですね。いま若い人向けの雑誌などに、会話体、しゃべっているような調子で書いてあるものが載っています。これらには傑作もあるでしょうが、概してつまらない。しゃべり言葉をただ原稿用紙に書いても、文体は新しくならない。
 漱石も賢治もも太宰治も、あくまで書き言葉の一種なのです。その根っこにあるのは、いかに話し言葉を書き言葉に移しかえて、なお、話し言葉のもっている自由さおもしろさを活かすかという、たいへんな事業なのです。(中略)
 一方、話し言葉からはなれた書き言葉のひとつの極である森鴎外を、いま読む人はあまりいません。別に森鴎外が悪かったわけではなく、森鴎外の文章が問題なのです。森鴎外の文章は、ずっと日本の文学作品の手本でした。だから日本文学はだめなんだ、という説もあるぐらいです。
 森鴎外のいちばんいい弟子は、おそらく志賀直哉だと思います。志賀直哉あたりまではよかったのですが、志賀直哉さんを取り巻いている人たちで、文章というのは彫りを深くしなければいけない、だから漢文が書けない人の文章はだめなんていう人がいますが、こんなのは嘘っぱちです。

「笑いについて」でスクリーブが語られる。パリのヴォードヴィル作者スクリーブは生涯350本ものヴォードヴィル喜劇を書き、「演劇のプリンスとして、フランスはもとよりヨーロッパ劇界に君臨することになる」。彼は30歳のときに書いた『熊とパシャ』でヨーロッパをほとんど笑い死にさせてしまった。

 スクリーブのヴォードヴィル喜劇は、たとえばあのアントン・チェーホフに滋養たっぷりの笑いの素を注ぎ込んだ。(中略)成人してからも彼(チェーホフ)のヴォードヴィル熱は一向に衰えず、それどころかたくさんのヴォードヴィル喜劇を書いたことは周知のところ。その中に『熊』という題の名作があるのがおもしろい。生まれ故郷のタガンログ市の小屋で、アントン少年はきっとスクリーブの『熊とパシャ』を観ていたにちがいない。

 井上ひさしチェーホフの「熊」を名作と言っている。私の好きなもう一人の劇作家清水邦夫も「熊」を高く評価していた。してみると「熊」は本当に優れた芝居にちがいない。

劇作家 清水邦夫の秘密(2007年3月20日


この人から受け継ぐもの

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